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プロット・キャラ表は不要?

去年のポストですが、芦辺拓先生が、興味深い引用ポストをされていましたので、ご紹介。宮部みゆき先生がプロットを書かないこと、藤本タツキ先生がキャラクター表を作ったことがないと発言していても、それは範馬勇次郎がトレーニングしたことがないと言ってるのと同じだから、本気にしてはいけない───という意見への、それはそうなんだけど、だからといって必ずしもプロットやキャラ表は必須ではないという、注釈というかポイントアドバイスというか。個人的に思う部分があるので、投稿者への簡単なアドバイスを。

確かにそうだが、これは「プロットを書く」「キャラクター表」を書くのが必須ということでは決してないので注意。それぞれの作家に独自トレーニングがあるのは事実だが。くり返す、プロットとキャラ表の作成は必須ではない(なぜか必死で主張する男)。

https://x.com/ashibetaku/status/1668494459200507904

①学生にありがちなこと

個人的な経験ですが、プロット提出を義務づけられ、卒業制作を何ヶ月も止まってしまった大学や専門学校の学生をかなりの数、見てきました。

商業プロは、プロット作りを推奨しますが、それはある程度作品作りに慣れて、コツが分かった人間には有効な方法であっても、経験値が少ない投稿者にはかえって有害という意識が、抜けているからではないか…と。そう思います。

例えば、自転車に乗れるようになると、乗れなかった頃の感覚が、多くの人は思い出せません。なぜ乗れなかったのか、どうして転んでしまったのか、説明できない人が大多数でしょう? 乗れるようになると、手放しでさえ乗れるのに(危険なのでやらないようにしましょう)。

ちなみに、宮尾岳先生の、アオバ自転車店には、非情に本質的な自転車に乗れない理由と、安全勝つ簡単に乗れるようになるための方法が、紹介されていました。興味がある方はぜひ。

②ネームを先に作る

プロットも同じです。明確な締め切りがあり、効率よく制作する必要がある商業プロには、プロットを作って製作のポイントを自覚的に把握するのは、有効ですが。経験値が少ない投稿者は、異なります。

なので、プロットが書けずに何ヶ月も悩む学生に、ある方法を教えると、一日でできちゃいます。ポイントは「ネームを先に作ってしまい、それからプロットを作る」ということです。

そもそも投稿作は一般に30ページ、ちば賞でも45ページです。これ、アニメや映画なら15分から23分ほどの内容です。
これが、単行本一冊の長編なら、プロットを作ることにも意味があるでしょうけれど。単行本1冊分はアニメや映画なら、90分から120分前後の、劇場公開用の作品と、ほぼ同じ分量です。30ページの短編なら、6~7本分の長さになります。

ある脚本家は、10分のアニメの脚本は10分で書き上げると、豪語されていたそうですが。それは極端にしても、10分から23分の作品に、プロットは大袈裟ですよね。鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん、ではないでしょうか?

③プロットとシノプシス

三島由紀夫が国枝史郎『神州纐纈城』の解説で紹介している、エドワード・モーガン・フォースターの『小説の諸相(原題:Aspects of the Novel)』の定義では、プロットは因果関係のことであり、一般にプロットと呼ばれているのはシノプシスのことです。

シノプシスは、あらすじとほぼ同義で使われています。
でも世の中には、諸星大二郎先生の諸作品のように、あらすじを簡単にまとめるのが困難な、もう読んで味わうしかないような傑作も、多数あります。

また、芥川龍之介は『文芸的な、余りに文芸的な』の中で、話らしい話のない小説を是とする文学論を展開しています。こんなことを、芥川は主張しています。

「話の筋というものが芸術的なものかどうか、非常に疑問だ」
「筋の面白さが作品そのものの芸術的価値を強めるということはない」

してみると、芥がの論理ならプロットもまた、不要となりませんか? プロットはあくまでも、筋や展開を確認したり整理するためのものなのですから。

④方法論は多様です

とはいえ、娯楽作品にはある程度の筋は、必要です。
でもそれは、短編であってもも長編であってもつまるところ、
「何が・どうして・どうなった」
に集約されます。

であるならば、30ページかそれ以下の掌編や短編は、もうサッサと書いてしまい、その上でプロットをまとめるという作業を繰り返せば、長編を書くときにプロットから内容を〝逆算する〟ことが、可能になります。

でも繰り返しますが、この逆算を経験値の少ない投稿者に強要するのは、疑問です。
逆算できるようになるには、本人の資質に加え、経験が不可欠です。

自転車に乗れなかった頃の感覚を忘れた人が、自転車に乗れない人に「そういえば、何回も転んで覚えたなぁ~。キミもそうしなさい」とアドバイスし、転んで骨折させてる例を、作話ではよく見かけます。

自分の経験を絶対化し、方法論を他人に押し付けるのは、とても危険です。私はそうやらないと作品が作れないからと、専門学校生にプロット作りを押し付けれいるプロの方を見かけたこともあります。

⑤飛べないと俯瞰は出来ない

思うに、小説の場合は最初から、8万文字から10万文字モノ長編を投稿作で書く脳力が、求められます。それならば、漫画なら180ページから200ページはありますから、シノプシスが有効な人もいるでしょう。

でも、シノプシスって、もともとは映画のプロデューサーが、長大な脚本を読むのが大変だから、手っ取り早く内容を把握するのに用いたモノです。要は、手を抜くためのモノ。
それが、経験値がある人間、具体的には作品全体を把握できる俯瞰の視点を持った人間が、アソコとアソコのポイントがクリアできれば、全体もクリアできるという、ポイントを把握するモノです。

では、長編作品の場合は、プロットは不要かといえば、それは展開の把握のためには必要ですが、と言う話で。短編さえまともに創れない人間に、俯瞰してプロットを創れは、本末転倒かと。

MANZEMI講座では、こいう点も含めて、指導しています。おかげで、デビュー率は、多少高いです。


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