「挫折(苦しい体験)した人は強い」について思うこと

どうも~千夏です。

今回は悩みを書きます。


それは過去との向き合い方です。


挫折経験から二年が経ちました。

挫折のおかげでやめられたこと、分かったこと、できるようになったことが増え、なんとか友達付き合いができるようになりました。

とはいえ、過去に引きずられることもしばしばあり、昨年秋「八割がた忘れる」ということをやってみました。

その結果忘れることがすごくつらくてつらくて仕方がないということに気付きました。

忘れようとする方がしんどいことに気付いたのです。

よく「つらい経験があったからこそ頑張れる」というけれどそれは本当なのかと考えることが増えました。

苦しい思いをして努力が成果となったという話ならその苦しさは良い結果でかたづくのかもしれません。

だけど、自分の場合は結果が良いのかが分かりにくい内容なのです。

一言でいうなら人間関係の挫折です。

成果は分かりにくいですし、過去をすぐ語ってしまい不幸自慢に似たことをする自分のことが自分は大嫌いです。

あったからたまたまその経験が生きたとはいえした方がいい体験だったとはあまり思いません。いや思いたくないのです。

人に聞かれればぱっと語れるような過去ですし、

そんなに深くどん底にいたのかと問われればイエスと言えないくらいの挫折ではあるのですが。


その考えがはっきりしたのは「おかえりモネ」の総集編を観ていた時でした。

主人公永浦百音(通称・モネ)と同じ職場の先輩・神野さん(今田美桜)キャスターの仕事がうまくいかず悩みます。
永浦さんみたいな苦しい経験(主に被災した時に誰の力にもなれなかったこと。簡単に言い過ぎて伝わらないかもしれませんが端的に言うならそんな感じです、多分)が私には足りないのだと語ります。

その様子を見ていた菜津(マイコ/主人公が住んでいる温泉シェアハウスのオーナー)がこう言います。

「苦しい経験をした方が良かったなんてことはないの」と。

(覚書なので正確ではありません。正確なセリフが分からないので知ってる方いたらコメントで訂正願います。)

菜津がそう語るのはシェアハウスに苦しい思いをして動けなくなってしまった人がいたからなのですが、この時菜津の言葉に大きな衝撃を受けました。


挫折は生かせという風潮は強くあります。

そしていつか受け入れなくてはいけない時が来るのだとも思います。

受け入れられないことに強く焦り、挫折した時のことを思い出すたびにその時失敗したことを強く警戒し、新しいことに踏み出せなくなりました。

主人公・モネは東日本大震災で誰も助けられなかったという自分の無力さを痛感した経験が動機となり、天気予報士になります。

故郷を離れ津波を見ていないことを責められた経験は常に人や地元のために何ができるかを考える原動力となります。

では苦しむべきだったのかというとそれは分かりません。被災がもしなかったらなんて考えてはいけないのかもしれませんが、なかったらモネはその道を選ばなかったのかもしれません。

モネの性格や考え方は過去が作ったものです。

過去が自分を作っているので過去を忘れることは自分を否定することにつながりそれが理由で自分はしんどさを感じたのだろうと思います。

たまたま結果的には苦しい経験がモネの原動力となり成功しますが、それは未来のモネが思うことなのです。

挫折はただの悪という考えは否定されがちですが、基本的には「挫折は良いこと」だとか、「成長の糧にしなさい」というのは変だと思います。

挫折したから次に進めないでは困るので、進むために成長の糧にするのであって、挫折自体がした方が良いことではないと思います。

「反省材料になるから結果的に苦しみはプラスになる」のではなく、

「プラスにしないと過去の苦しみ、呪縛から逃れられないからプラスに変える」のです。

モネの場合は自分は無力だ、助けられなかったという思いをしたくないので、天気予報士になったり、故郷で天気予報を伝えてプラスにしています。

間違っても神野さんのように自分から「あなたみたいな挫折がないから私はダメだ」と口にしてはいけないような気がします。それが今のところ自分の持論です。