努力中毒?

どうも千夏です。今回は運動しすぎたことについて書きます。

運動するようになったのはおととしの12月だ。

きっかけは推薦入試で大学が決まったこと。

暇な時間に運動すれば家にいても運動不足が解消すると思った。

軽い気持ちで動画投稿サイトで見つけた、15分のハンドクラップの動画を見よう見まねでやってみた。三日坊主で17年間何も続かなかった自分だが、あるハンドクラップの動画にはかなりはまった。次の年の3月までほぼ毎日やっていた。その後は忙しくなったため短い時間の動画に変えて運動を続けた。すると、筋肉がついた。目的は運動不足の解消だったので明確に何キロまで落としたいとかこうなりたいとかそういう姿はなかった。けれど続いたことが嬉しくて、それだけがモチベーションで今でも続いている。それまで部活以外で体を動かさなかった万年運動不足の自分が変わったような気がした。

さらにうちこむと、自傷行為がやめられるようになったし、何より趣味が宅トレだと言えるので、おしゃれに強い恐怖心を持っていても、意識が高いふりができた。ストレス解消にもなったし、体が強くなった気がした。体の調子が良い日が増えたし、部活で挫折したダンスも家だけでは楽しめた。いいことだらけだと思っていた。

けれど、最近分からなくなった。努力する自分に酔いしれていないかということ。努力すること自体が目的になっていないかということ。

努力中毒という言葉を知っているだろうか。

努力することが楽しくてやめられないという状態のことだ。

最近毎週一回は1時間の動画を踊るようにしようという目標を立てた。

しかしその目標は全然達成することができていない。

時間も有り余っているし、お金は(電気代や通信費はかかるからほぼ)かからないのにできないのは、その動画の挑戦する前に筋肉痛が来てしまうからだった。

さすがに肉離れが起こったり、疲れて動けなくなるまでやっては本末転倒だ。

だが、筋肉痛が起こるとできないことがストレスになってしまう。

筋肉痛が起こることがたまにあるならいいが、毎週は多い気がした。

元をたどれば目的は単にストレス解消のはずだった。明確な目標もないのに追い込み過ぎていた。とはいえ努力することも、続けることも悪くはない。

だけれど何のためにやっているのかを考えていないとただやっているだけになってしまう。それで追い込み過ぎて目的を失ってはダメだ。毎日多い日でも30分しかやっていなかったのに突然勢いに乗って1時間40分もやっている日があった。テレビ番組で体を動かすのが楽しくて体の負担を考慮するのを忘れていたのだ。(レッツ美バディという番組の視聴記録は投稿していないためnoteの記録では40分となっている。)

これから主にウオーキングで長く体を動かすようにして少しずつ努力中毒から抜け出す方法を探ってみようと思う。一日に多くても宅トレは30分まで。(短い動画でも「地獄の~」と書いてあるものは一日1つまで)時間を伸ばす時はもう少し慎重になってちょっとずつ伸ばすことにしようと反省した出来事だ。(ウオーキングはアプリのおかげでやりすぎることが比較的少ない)

それではまた