キムチ鍋を作りながら

今キムチ鍋を作っている。コンロ横のシンクに寄りかかりながら人参に火が通るのを待っている。

スマホでPinterestというアプリで画像を漁っていたら、朝ドラの「おかえりモネ」の画像を見つけた。昨年の春から1話も欠かさず観た朝ドラだ。
ふと目に入った画像というのが、モネと妹の未知と、そしておじいちゃんの3ショット。この画像を見た時、とても寂しくなった。

昨年の10月、私の祖父が亡くなったのだ。あんなに元気だったおじいちゃんが、体調を崩して、弱っていった。多分、病院はコロナで面会できなくて家族や近所の人と会えなかったから、気持ちが弱ってしまったんだと思う。実家は自営業で商売をしてたから尚更だろう。

亡くなる少し前、お母さんからかなり弱ってるから、意識があるうちにビデオ通話してくれない?って言われた。何となくアパートで会話するのが辛くて、自転車で海へ行って通話した。顔は見違えていた。喋ることも出来てなかった。看護師さんを介して会話したけど、私が一方的に喋るばかりで、今は後悔している。もっと声を聞いてあげればよかった。

でも、ひとつだけ言おうとしていた事があった。
就活で何もやりたい事がなかった時、実家が卸をやっていたことで、自分は食に関心がある事に気づいた。本当はおじいちゃんが学校の先生をやっていたこともあって、大学では教育を学んでいたが、挫折した。
おじいちゃんのことをすごく尊敬していたし、地域の人から愛されていた。
だから、地元のスーパーに就職が決まったのは、家業を支えてくれていたおじいちゃんの存在が少なからずあったからだと思う。

電話越しでおじいちゃんに伝えた。
看護師さんがいてめちゃくちゃ恥ずかしかったし、伝わっていたか分かんないけど、とにかく言えた。
自分の気持ちを声に出せて少しホッとした。


いつも実家に帰ると、大抵私がふと気になったことを質問して、おじいちゃんが答える。そして、私の喋る声と笑い声が大きくて、呆れ笑いをされていた。

そんな声がもう聞けないというのが、今になって寂しい。亡くなってすぐは、気持ちは全然大丈夫だったと思う。家族を支えてあげなきゃという気持ちの方が強かったからかもしれない。
そして時間が経って、ふとおじいちゃんの存在を思い出した時、涙が出る。
私にとって、おじいちゃんは大きな存在だったことを実感する。


そして今日は、私の父の誕生日。
父も割と高齢なので、そわそわしてしまう。
でもちゃんと、おめでとう、元気でいてねとメールだが伝えた。

恥ずかしいなんて今だけ。
今しか伝えられない事を伝えなくちゃ。

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