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わたしが死にたいと願う理由①

毎度の如く私は死にたいということをnoteに書いている。わたしが死にたいと思い始めたのは15歳の夏。本当の理由は自分にもわからないけど日々心をすり減らして生きていたんだと思う。なぜかはわからないがその理由を整理するために書いていく

ある日突然自分の家族が歪な関係だということに気がついた

私の母は兄にしか興味がなく、家庭内の全ての序列は兄が上なのだ、私は妹だから女だから、という理由でご飯もあまり与えてもらえず話も聞いてもらえなかった。当時兄は4つ上なので19歳で大学生、毎日帰りが遅かった。兄がいないところではずっと母の愚痴を聞かされており、私の話は聞いてくれないし聞いてくれたとしても人格を否定するような言葉を投げつけてくる。だか兄が帰ってくるととてもいい母親のふりをする。母は兄にしか興味がない。だからその場では私はいないものとして扱われる。リビングから出てお風呂に入る準備をしていると私の悪口を言われている。毎日この時間がとても辛かった。なんで私は後に生まれただけなのにこんな扱いを受けるのだろうかと毎日声を殺して泣いていた。友達と出掛けて何かを買ってきたとしてもダサいそんなのいらないだろうと貶され捨てられる。学校から帰って塾に行ってる間に荷物を漁られていて帰宅すると母が怒っている、なんだこれは!と怒鳴られる。兄の目の前ではいないものとして扱われるのに兄がいないところでは過干渉というか、束縛というか、所有物として扱われる。そんな苦しい日々がなんとなく小学生の頃からずっと続いていたのだ。

よくある話だと家では問題を抱えているが学校には友達がいるから大丈夫などとあるが全然学校も大丈夫ではなかった。そんなヒステリックな母親に育てられた子がまっすぐ育つわけがなくとてもくらい子だった。

わかりやすくいじめられているわけでもないがとてもクラスで浮いている存在だった

あまり誰とも仲良くなくグループにも入らず1人で休み時間も過ごすような日々。中学生なので一応部活も入っていた。部活くらいは誰か仲良い子がいるだろうと思うが、母の友達の子となぜが同じ部活に入り見捨てられ陽キャと陰キャどちらにも属さない謎のポジションにいた。強いていうならば仲良くしてくれていただろう3人がいた。しかしその3人は同じマンションで小学校からの友達で今更その中に割って入れるほどの薄い友情ではなかった。私はそのグループから頭が悪いだの馬渕に入れないだの散々言われていた(そのマンションでは馬渕教室に通うことがステータスであった)。よく考えればこれも軽いいじめなのだが、私は幸運か不運かどちらとも捉えがたいがその人たちよりも運動神経が良く部活でも好成績であった、そのため絶妙な関係であった。

そんなこんなで中学時代の私は八方塞がりなほどどこにも救いがなかった。今思えばよくこんな状態で学校にも行っていたと思う。

続く

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