有名人著名人とどのメディアで接するか取捨選択する時代

人付き合いでは、人によってほどよい距離感を取ることが大事。とよく言われますが、その延長線上にあるような考えで、「有名人(タレント、作家、インフルエンサー等々)とどのメディアで接するか取捨選択する」ことも大事だと最近思えてきたのでメモします。

「作家と作品は分けて考えろ」とよく言われますが、これは基本的に僕も同意します。理由は、単純に楽しみや学ぶ機会が増えるからです。もしかしたらめちゃくちゃ感動する作品かもしれないのに、作者が嫌いという理由でその創作物を読んだり見たりしなかったら、すごく損してるなーというそれだけの理由です。

これは作者と創作物がある程度離れているから受け入れやすい考えだと思います。
ではこういうパターンはどうでしょう?

「ある人のブログが面白くてファンだったけど、本人の喋っている様子の動画が気持ち悪かったから、ブログ読むの辞めた。」

なんだか勿体ない気がします。引き続きブログだけ読んで、本人が出てる動画などは見なければいいのでは…と思えてきます。
ブログの内容によっては、例えば「イケメンという前提で書かれていたのにブサイクな男でがっかりした!」なんてパターンもあって、難しいかもしれませんが…。もうそれはフィクションとして楽しむってことは難しいですかね?無理ですか、すみません。

逆にこういうパターンもあると思います。

「YouTubeに出てるのは好きだけど、ツイッターでの発言がムカついたのでチャンネル登録解除した」

今度は本人の生身は好きだったけど、テキストコンテンツ化されたら嫌いになったというパターンです。動画では出ていなかった、別の側面が見えてしまい嫌になることも、時々あるかと思います。

と、他にも色々例は挙げられると思いますが、これ全部、気にいってるメディアでの接触は続けて、気に要らなかったメディアでの接触はスルーすべきなんです!それはあなたのためであり、そうした方が人生の楽しみが増えるんじゃないですか?ということです。

個人的な例を挙げるなら、ホリエモンがテレビに出て他の出演者と喋ったりツイッターでの発言は嫌味な感じがするんですが、YouTubeで一人でしゃべってる時は、気のよさそうなおじさんで内容も面白いので結構見ちゃいます。(最近本人もよく言ってるようです)
百田尚樹さんの普段の発言は全然興味ないですが永遠の0は面白かったです。
syamさんは同じ動画でも、本人が編集したYouTubeは微妙だけど、コメントが同時に流れるニコニコ動画は面白いです。
またこれらの例ですが、この有名人はこのメディアという主張ではなく、受け取り手によっても適切なメディアも違ってくるはずです。テレビの嫌味なホリエモンがいいと言う人もいるはずということです。

その人の発信することは1から100まで素晴らしい、或いはダメという感覚の人は結構いる気がします。ある種のメディアリテラシーが欠けているのでは。もっと良いとこどりしていいんじゃないでしょうか。

昔はテレビか書籍か…いわゆるオールドメディアだけでしたが、今は色んなメディアがあるので受け取り側もうまく選んでいった方がいいと思います。

かくいう自分も、noteでの作文はYouTubeの動画の内容とはまるでかけ離れたものになってしまっています。チンポッティとオマンチャイを聴く人と、この作文のような内容に興味ある人はほぼ被らないでしょう。
言い訳なんですが、動画の方は煩悩とバカ脳にフルコミットしてるので、バランスを取るために賢者モードで考えていることをアウトプットしておきたいのです。

なのでこのnoteは「賢者モードで何か書いてるなー」という認識で読んで頂けると幸いです。

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