時を超えるテキスト

まだ解像度の粗いぼんやりしたことを書いてみようと思います。分かったようなことを書いているように見えてしまうかもしれませんが、たいして分かっていないことを先に断りつつ。

時代を超えて残っているテキストは大きくざっくり分けてしまうと、2つあるのかなぁとふと思いました。1つは「役に立つもの」、もう1つが「物語」です。例えば地図とか、秘伝のレシピとか、法律とか、医学書とかは前者に属している感じがします。後者は例を出すまでもなく言わずもがなですよね。何百年も何千年も前の物語が現代にも語り継がれています。

これらを「人間が大好きなもの」と、これまたあいまいな言葉で乱暴に包んでしまいます。
そこから既存の枠組みを見つめ直すということを、やってみたらどうなるだろうということを考えたくなります。

例えば、いままで「役に立つもの」を売ることが収益源だった仕事で「物語」を売ることができないのだろうか。売るというのを価値の提供と言い換えてもいいです。そんなことをぼんやりと。

これまで「物語」はそれこそ文学や映画の専売特許でしたが、いまはもっといろいろな人が「物語」を紡げる時代です。

オリエンタルラジオの中田さんのYouTubeをよく見させていただくのですが、基本的には授業形式の「役に立つ」情報を売っているのですが、ぼくを含めて多くの人はきっと中田さんの生き方という「物語」のお客さんになっているように思います(詳細は別の機会に!)。

そういうふうに、物語を売るパン屋があってもいいし、物語を売る農家があってもいい。メイキングの価値を捉え直すといいますか。
そういう意味では「生き方」と「働き方」の距離が近い方仕事に可能性を感じてます。近い方が「物語」の種が隠れているような気がするのです。感じるとか気がするとか抽象的な話ですみません。。その距離について、意識してもうちょっと周りを見渡してみたいなぁと思います。

分かったようで分かっていない小咄。

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