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【映画ログ】力を誇示する人ほど内心怯えている

最近、友人とずっと行きたかった鎌倉の東慶寺さんに行ってきました。
ド平日に行ったのにけっこうな人がいてびっくり。
飲食店の方のお話しだと、今は紫陽花がちょうど見頃で、という理由らしいです。
それなのに写真の一枚も撮らなかったことに、帰ってきてから気づきました。
いいんです、心のフィルムに刻み込んだのです。笑

この東慶寺さん、どうしてずっと行きたかったのかというと、以前鑑賞して、とても印象に残っていた映画「駆け出し男と駆け込み女」の舞台になったお寺だったから。
お参りした後、もう一度映画を見たくなり、レンタルして観ました。
2回目でもやっぱりいい映画。
ただし江戸弁が早すぎてところどころセリフが理解しにくいところもあります。
観る時には大まかなストーリーがわかればOKという気持ちで鑑賞してくださいね。

さて、この映画では女性を力や言葉の暴力で虐げる男性が登場してきます。
そのような男性の振る舞いについて考えると、ひとつは単純に男尊女卑の時代だったから、という受け取り方ができるかもしれません。
また、人に暴力を振るったり、暴言を吐いたりする人は、自分の方が立場的に上にいるからそうしてよいのだ、という思考もあると思います。
だた、そこをもうひとつ深堀りして、なぜそのような思考をもってしまうのか考えてみた時に、私としては映画の中で大泉洋が言う、以下のセリフがとても真実をついていると感じました。

『亭主は自分に能力がないもんだから、この人に嫉妬してる。
そういう手合いは、相手の弱みを徹底的に暴く』

嫉妬という言葉をグーグル日本語辞書で調べると、その説明のひとつは以下のように書かれています。
『他人が自分より恵まれていたり、すぐれていることに対して、うらやみねたむこと。』
相手のほうが優れていることを認めたくない、認めてしまうことが怖い。
認めてしまうと自分の存在価値がわからなくなってしまう。
本当はそのような気持ちが心の奥底にあって、でもその感情を直視することが辛い。
そのため暴言や暴力で相手を怯えさせ、逆らえないようにすることで、現実を見ないようにしているのではないでしょうか。

私も過去に何人かの男性から暴言、時には脅迫とも受け取れる言葉で傷つけられたことがありました。
当時は、「言われた相手の気持ちを考えないのか!おかしいだろ!!」という気持ちでいっぱいで、精神的にかなり辛かったです。
ただ、有難いことに周りの人にサポートしてもらったり、話を聞いてもらったりしたことで、今はほとんど回復できています。

心の落ち着きを取り戻した今、相手のことを改めて考えてみると、大泉洋の言っていることと同じように思うのです。
過去に自尊心を失ったり、自己肯定感を損なうような出来事があり、その穴を見ないようにするために、暴力的な態度をとるのではないかと。

ただそうは言ってもいかなる理由であれ、自分が傷つけられることが認められていいはずがありません。
そんな時にどのような対応をとるべきか。
映画の中の女性たちは、淡々と法に従い、相手から離れる手段をとっています。
でも自分を守るためのアクションを起こすためにはけっこう勇気がいるんですよね。私もそうでした。

自分を守るために、まず大切なこと。
それは嫌だ、辛いと感じたのならば、その状況から離れることは自分にとって正しい選択であると、信じることです。
自分が不愉快に感じることに、正解も間違いもありませんから。
そして江戸時代の東慶寺のように、助けの手を差し伸べてくれる場所や人を探しましょう。
私も助けてほしいと周囲の人に勇気を出して声をあげたことで助けてもらうことができました。
辛い状況にあるとき、「これは仕方がないことだ、自分が悪いのだ」と自分に思い込ませていないか、まずは自分の気持ちに正直になってほしいと思います。


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