コンプレックスとお友達になりたい①

私は、場面によって話せなくなることがよくある。
いつからだろう?って考えると、始まりは小学校6年生くらいだった気がする。

最初はそんなに頻繁にあるわけじゃないから気にはしていなかったけど、クラスでの発表会、国語の時間の音読、新学期の自己紹介とできなくなることが増えた。

もともと人前が苦手だったのと緊張しやすい体質だったから、小学生の時は「中学に上がったらまた新しい環境だし、慣れたら話せるようになる」と思ってそこまで気にしなかった。

4月から中学に上がり、家の事情で私は地元を離れ埼玉に引っ越した。
もちろん、同じクラスの人誰も知っている人が居なかったけど、それが意外とよかった。
小学校を卒業してすぐの時は人間関係にかなり不安があったために、自分を知っている人に会いたくなかったから。

いま振り返ると、中学生になって初めての自己紹介はわりと話せていた気がする。
でも中学二年生くらいになった時から、授業での発表がいきなりできなくなったのを覚えている。

頭の中真っ白どころじゃないし、泣きそうになるし「声が出ないってこんなに苦しかったけ」ってその時感じた。そこから有り得ないくらい、授業で指名されても答えられなくなっていた。

それでもまだ人が少ないところでは少しは話せていたためか、高校受験の面接は質問には答えられた記憶がある。いま思うと、なんでだろう?って不思議なかんじ。

高校に入ってからは、授業受けるのも辛かったけど、自己紹介がやっぱりいちばん辛かった。
ひとことも言えずに終わることが多くて、だいたいその後にトイレに駆け込んで泣いたことを今でも覚えている
。「名前が言えないっていちばん不便だよなぁ」と今も思う。

授業の時、先生によっては配慮してくれて「できるところだけ言えばいいよ」って言ってくれる先生もいてありがたかった。でも、そうではない先生に自分のことを分かってもらうのがいちばん難しかった。
説明も下手だし、なによりも「自分の弱いところを分かってもらう」というがすごく嫌だったのだと思う。

学年が上がっていくと同時に見事に話せなさ度合いも上がっていき、3年生になった時には授業の発表はもちろん、出席の点呼ですら返事ができない状態になっていた。あの時は本気で焦った^^;

そんな話せなさピークの時期は、受験の時期だった。
私は進学志望から経済的な事情で就職志望に変えたのだけど、その時期が少し遅かったことと面接のできなさが凄まじかったから、その時期はかなりドタバタしていた。
担任の先生から校長先生まで、いろんな先生に協力してもらって、面接がない製造業の会社に入社した。

会社に入ってからのことは、次のnoteに書いてあるので、よかったら見てね👀
↓↓↓
https://note.mu/chimako790/n/n7fa151656fa2

《余談》
ちなみに高校時代の私の癒しは、音楽だった。
「話せないけど、人前では歌える」という不思議な体質(?)だっため、合唱部に所属していた。
担任の先生から、冗談で「面接で話せないなら歌えばいいじゃん」って言われた時には、本気でやろうかなと思った時もあった(笑)
文化祭でもわりと人がいるところで歌ったり、卒業してからも音楽に関わることを少しできたのは部活をやっていたからかなと思うので、すごくよかった💮

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