コンプレックスとお友達になりたい②

前の記事と合わせて読んでね。
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私の入社した会社は3月入社だったために、高校の卒業式が終わってから1週間くらいで入社するというドタバタだった。
入社して3ヶ月から半年は、いろんな部署をまわり研修というカタチだったから、いろんな部署で話せないことを第一に怒られたのを覚えている。

夏休みが終わってちょっとした時くらいに、自分の部署が確定した。
1年目の間はそれぞれの作業を教えてもらうからとくに困ったことはなかった気がする。
2年目になって後輩が入ってきたあたりから、自分がどうしたらもっとうまく仕事ができるようになるのか考えていた。

私の場合、「うまく仕事をする」以前にコミュニケーションが圧倒的に取れなかったため「どうしたら話せるようになるだろう」と毎日考えていた。

朝、作業内容を聞くだけで30分かかって泣きそうになったり、電話ができなくて電話越しに説教されたり、外部の人と電話した時にひとことも言えなくて、ガチ切れされたり…。
そんなことは日常茶飯事で、思っていたよりもできないし、あの時はかなり精神的にきつかった。
それでも、話しやすい人を見つけて相談したり、自分がやりやすい方法を探したり、努力はしていた。

精神的にきつすぎて、心療内科に通いながら精神安定剤を飲み続けて仕事をしていたために身体がおかしくなりそうな時が何度かあって、「んー、倒れないといいな」と思って毎日過ごしていた。

20歳になった年の冬に「リハビリができたら話せるようになるかもしれない」と思い、新宿のボイスクリニックを訪ねた。院長先生は優しくてハキハキしている人だった。言語聴覚士の先生にリハビリをしてもらって、「機能性発声障害」という診断名がついた。
その時に少し謎が解けたような気がして、ラクになったのを覚えている。
リハビリを受けて、アドバイスをもらって、今までより少し話しやすくなった時もあって、嬉しかった。

仕事をしては家に帰る毎日を過ごして2年半経った時に、私は仕事をしている意味が分からなくなった。
覚えようという気がなくなった。

その時はいろんなことを一気に覚えなくてはいけない時期で、上司も焦っていたのだと思う。毎日のように怒られて、精神的に辛かった。

私は「仕事は、3年目に入ったら辞める」と決めていた。
いつ辞めようかと考えていた時期に、体調を崩した。
正確には、精神的の安定が崩れた(強制終了状態)。
そして、6月に仕事を辞めた。

仕事をしていた時にかなり「普通にできるようにしなよ」と言われた。
私は、普通なんてないと思う。
「できないことは自分で努力してできるようにしよう」とずっと思っていたし、そうしなくてはいけないと思っていた。
でも、現実世界は「自分でできないなら、人に頼ればいい」というやり方でも生きていける。
(これは、うちの母が教えてくれたこと)

私は今でも名前が言えないことが多いから、常にメモ用紙を持ち歩いて必要な時に見せられるようにしているし、電話で話せなければ母親に頼ったり、メールでできることはメールでしている。

結論…“伝わればいい“と思う。

簡単なことだけどずっとできなかったから、最近はちょっとだけ生きやすくなった。

《あとがき》
私は話せない自分がすごく嫌だった。過去形だけど今もぜんぶ受け入れられているわけではないし、自信を持って人と話せるかと言われると自信はない(笑)
でも、これを書いていて昔のことを思い出したり、自分と向き合って思った。

『コンプレックスとお友達になりたい』

ちょっと自分のコンプレックスと思っていることが可愛くなった。「コンプレックス」というゆるキャラみたいな感じ。友達になって仲良くなって手を繋いでみたら、意外と怖くないのかもしれない。
違う世界が見えてくる気がした。
だから、ちょっとずつ、距離を縮めていこうと思う。

長かったけど、ここまで読んでくれてありがとう。



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