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ある夜起きたこと。

その日あたしは体調がイマイチだった。

体調というよりもメンタルか。

新月の日はいつも気持ちがささくれ立つことが多い。その上、爆弾低気圧だったし、そもそも疲れてもいた。

後、数日でゆっくりできるだろうからと思いつつ、作業をしながら頭は色んな思考がグルグルと回っていた。

自分の体調のこと、日々SNSのタイムラインから流れてくるニュースや誰かのぼやきや怒り。

成田とかいう人が「年寄りは集団自決を」と言って炎上したり、ジェンダー問題や少子化問題などの流れで出産についていろんな人の投稿が溢れている時期だった。

そう言ったものをなんとなく思い返していた。

あたしは子どもを産んでないし、今後も予定もつもりもない。コロナ禍で動き回ることもできない。バリバリと働けていないので、たいして税金を払えてないとも言える。

そういう生活に中にいても、社会や政府についてアレコレ声を上げている自分・・・そんなことを思い巡らせていた時に不意に口から出た言葉。

「死にたい。」

その言葉はそれまでも言ったことがあるが、辛かったりした時に感情的に吐くことはあったが、サラッと自分の中から湧くようにその言葉が出てきたことなど初めてだった。

その静かさにショックであたしはそのまま身動きできなくなった。
そして、とてつもない悲しさと恐ろしさに襲われた。

動悸がして涙が溢れ、手が震えた。

何かが辛くて死にたいとかじゃない。社会に役に立たないあたしというものが、社会には必要とされない、必要ではない、いるだけ迷惑なのでは?そこから湧いて出た想い、言葉だった。

そして気づく。これは自分の想いじゃない。自分の言葉じゃないと。

それはこの社会に、あの流れゆくSNSのタイムライン向こうからやってくる言葉の圧力だ。

そういう思考、感情に追い込む暴力。
死という選択肢もあるんだと示して追い込む圧力。

こうやって着々と人の心に忍び込むのか、そうやって自らが社会に必要ない、死ぬべきだという偽の感情の種を蒔くのかと衝撃を受けた。

今のこの社会では生きる事そのものが権力に抗う方法だと、常日頃思っておるあたしでも、気づかないうちにその心の奥底に撒かれた種が芽吹いていたのだ。

日本の自殺者の多さの原因の一端を見つけた気がする。

嫌な事、辛い事、それに麻痺して過ごす事、そんな積み重ねの日常の中、そこに「お前は役に立っていない。」「お前は社会の足を引っ張っている。」と言ったような論説や投稿を目にするたびに、その種に栄養が送られる。

気づかなければ、、その芽が「自分の蒔いた種でない。」と気づいて引っこ抜かねば、人はある時、些細な拍子に、一線を超えてしまうのかも知れません。

その恐怖に気付かぬまま、自覚のないままに人は、誰かにも向けてもその種を投げつけてしまっているのかも知れない。

あなたの吐く言葉はそんな言葉ではないか確認して欲しい。誰かが酷い吐いた言葉を自分のものと受け止めないで欲しい。
全力で拒否すればいいと思う。

あたしですら、そんなことが起こるのかと衝撃を受けた。
日を費やさなければ言語化できなかった。
まだ思い返し言葉を整理しようとするたび胸が苦しくなる。

それでも書かなくちゃいけない。
あたしは死んでいい人間ではない。
あなたは死んでいい人間ではない。
死んでいい人間などいない。

誰かが決めるのではない。
不協和音で正気を保つのは大変かも知れない。
でもあたしもあなたも誰でもどんな人間も生きていい。
誰かの物差しで測らなくていい。

そしてそういう社会を目指すことが、人が人であれる道だと思う。

言葉の暴力が飛んでいく先は自分自身だ。
巡り巡ってそれは自分の背後からも忍び寄り、負のループは止まらなくなる。

花粉症もあいまって垂れまくった鼻をすすって見上げた空には、見えない月があった。
月は巡ってまたその姿を表す。
いない方がいいと言われようが、見えないフリをされようが、あたしはここにいる。
気をしっかり持って、生きていく。

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