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普通科に通う高校生が、芸大を目指した裏で起こっていたこと

今回は、私が芸大受験をしたことによって母校で起こったちょっとした現象を紹介していきます。

美術室を溜まり場にしていた仮面美術部男子と、芸大志望の私

美術の授業すらなかった私の高校。なぜか美術室はありました。
石膏像は数体ありましたが、別に誰もデッサンはしていませんでした。

美術部も一応ありましたが、放課後に美術室に行くと男子が麻雀をしていたり、漫画を読んでいたり。簡単に言うと家に帰りたくない生徒がたむろしている場所でした。

芸大志望の手前、他の部活に入るわけにもいかなかった私は美術部に在籍していました。本気でそんな美術部に顔出すのが本当に苦痛でした。(これを書いていて気付きましたが、他に誰が居たか何一つ思い出せない)

総合文化祭に向けて一人淡々と油絵を描き続ける異端児=私

年に1回、愛知県下の高校生たちが作品を発表する文化祭が開催されていました。私にとっては、受験のライバルたちの作品が見られる貴重なチャンスでした。

特に、中学生の頃に憧れていた旭丘高校の油絵を見たいと強く願っていました(実際に見たときは悔しさと憧れがごちゃ混ぜになった複雑な感情をだきましたが)。

そこで、文化祭に参加するために油絵を描き始めた私。
特に油絵を習ったことはありませんでしたが、図書館で道具の使い方の本を見ながら挑戦しました。描いたのはセザンヌの静物画の模写かオリジナルの絵だったと思いますが、そこは記憶が曖昧。

放課後に部室に行き、麻雀に興じる他の部員を全く気にせず黙々と油絵を描きました。別に満足した仕上がりではありませんでしたが、文化祭に出品する作品を完成させることができました。

勝手に巻き起こってしまった美大受験ブーム

そんな私の姿に刺激を受けたのかどうかは分かりませんが、ある時からたむろする男子生徒の会話に「芸大」「美大」と言う言葉が聞こえてくるようになりました。
私は、3年生当時は日曜日だけ河合塾に通っていました。が、他の生徒は特に芸大受験対策をしていたようには見えませんでした。

他の生徒たちは、私のように芸大一本に絞る訳ではなく、受験校を1校追加するようでした。そんな受験の仕方あるんかいな。と心の中で突っ込んでいましたが。

世の中には、芸大を記念に受験する人がいるらしい

芸大は、基本的に定員が少ない学校が多いです。私の母校の場合、当時デザイン科で36人でした。そんな中、受験生は余裕で300名を超えます。なので、倍率は10倍以上という狭き門。

かなりの緊張感で受験に挑まないといけません。

けれど塾の先生に教えてもらったのは「芸大受験生の3分の1は、人生経験として芸大を受験する生徒」と言うことでした。
もっと細かく言うと、3分の1は受験対策を特にしていない人、3分の1は浪人生、3分の1は現役高校生ということでした。今となっては根拠は分かりませんが、当時受験生の私は少し気が楽になったことを覚えています。

なぜなら、実際に目の前に芸大を記念受験しようとしている生徒が何人もいたからです。

芸大進学は、持って生まれた才能とセンスで実現できる。のか?

芸術やデザインの世界は「才能とセンス」によるとよく言われます。
なので、記念受験という概念が生まれるのかなと思います。光り輝く才能とセンスを持っていたら、芸大も合格できるかもしれませんものね。(私はお会いしたことないけれど、実際にいらっしゃるらしい)

芸大を卒業し、現在デザインの仕事を続けている私には才能もセンスも持って生まれていませんでした。
ただ、現在も生業にできている理由は、学ぶ姿勢を忘れなかったからだと思います。(もしかしたら、生まれながらの才能あるかもしれないけど)

河合塾の夏期講習で、美術部の部長と出会した時は気まずかったな。
そして大学の1次試験で会った時もお互い無言だったな。

部長、元気かな。

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