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べてるの家の上映会をした

先日、私たちの住む家でべてるの家の上映会をした。見たのは、「ベリーオーディナリーピープル 予告編1」というものだ。べてるの家とは、北海道の浦河町というところにある、精神障がいなどの当事者の共同住居、ワークスペースなどのことだ。

今回は、私たち夫婦と、いつも仲良くしてくれている友人とその繋がりある人たちを誘っての開催となった。

べてるの家の映画は、数年前に夫が名古屋で一年半ほどにわたって上映会を開いていて、私は参加はせず家でそのDVDを観たことと、一度名古屋で当事者研究会があった時に参加させてもらったくらいだったが、その時の印象で、べてるの家に流れる空気感がとても好きで、もう一度映画を観たかったことと、べてるのような空気感の中で私も暮らしたいという思いから今回開催することとした。

初めに参加者全員の自己紹介をして、気になったところがあれば付箋にメモを取りながら映画を観て、最後に感想を共有し合った。

初めて会う人もいたが、とてもリラックスした空気だったと私は感じていた。

べてるの中で、「その人のもつ弱さのその真ん中にこそ、その人の素晴らしいところがある」という言葉が出てきた。弱さ、というのは、今の日本の社会では恥ずかしいもの、隠すべきもの、出してはいけないもの、のような空気があるように思う。しかし、この中では、その逆をいく、弱さを絆に、弱さの情報公開という言葉もある。

その言葉に、私はとても救われる思いがした。これまで、仕事の場面などにおいて、強くあろう、できる自分であろうとして窮屈に感じたり、生きづらさのようなものを感じることがあった。そうでなくてもいいんだよと言われているような気がした。

弱さとは本当は、恥ずべきものではなく、人と人とが繋がり合うためになくてはならない大切なもののような気がしてきた。

どうして今の社会の中ではそれを出すことがはばかられるのか。それの一つは、資本主義経済社会にあるのではないかと思う。大量に生産し、消費する社会。生産性を重要視する世の中では、できないことは邪魔なことになる。だからみんな、自分の存在が危ぶまれないように弱さをひた隠しにしてみんなせっせと働くのかもしれない。もちろん、お金は必要だと思っている。山の中で完全な自給自足をするのではない限り、税金もあるし、電気代や水道代もかかる。買い物だってするからには、お金を悪とは考えたくない。しかし、お金が全ての中心になって生活の占める割合が大きくなりすぎることで問題が生じてくるのではないかと思う。

べてるの家が素晴らしいのではなく、そこに流れる「場の力、場の豊かさ」のようなものを、自分の周りにも広げていたいと思っている。

次回予告編2の開催は8月に予定している。予告編1の参加者の方々全員が続きを観たいということと、新しく参加したいという方々がいて、以前からの繋がりが続いていくことと、新しい感想や思いを聞くことができることとが、今からとても楽しみだ。




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