令和の幕明けにふさわしい五島の歴史と出会い
令和時代を太古の船の中で迎え、5/1早朝、五島列島へ到着した。
令和の意味をみんなが調べてる中、私は『旅の語源を調べていた』
「たどる日」「他日(たび)」「外日(とび)」「外辺(たび)」「飛(とび)」「発日(たつび)」「他火(たび)」「給(たべ)」のほか数多くの説があり、正確な語源は未詳である。
古くは、遠い土地に限らず、住居を離れることをすべて「たび」と言った。
その意味では「たどる日」「外辺」「発日」あたりが妥当と考えられる。
また、旅は多くの危険にさらされる苦しいものと考えられていたことから、「他日」や「外日」など別の地で過ごすことから「たび」となったものか、他の家で調理したものを頼る意味で「他火」や、食物を貰う意味で「給(たべ)」からとも考えられる。
旅の語源が「飛(とび)」とする説は、飛行機がない時代なので、遠くへ行くといった意味からであるが、上記のように旅は遠い場所と限られていなかったことや、苦しいものと考えられていたことから、「飛(とび)」が旅の語源とは考え難い。
語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/ta/tabi.html
調べてみたが、その由来は定かではなく、様々な仮説が存在していた。ただ、そのすべてが正解ではないだろうか?
一時的に住居を離れ、違う土地へ行くというー『行動』
出会った人の家で『他火』に頼り、飯を食うというー『空間』
『他日』という日常とはまた違った時間を過ごすというー『経験』
動名詞としての『旅』だけではなく、その先にある空間や経験までもこの意味に含まれてるとしたら、めちゃくちゃ素敵な言葉なのではないだろうか?旅先で出会う人と自然、歴史の中から、どんな空間を過ごし、どんな経験を得るのかというだけでわくわくする。
今回の五島の旅で得た経験は本当に本当に最高という言葉や至高という言葉では言い合わらせないほど大きな大きな感動を得ることができた。
最高の食
最高の海
最高のおもてなし
ここで5日間という時間を過ごしながら感じたことを徒然と書いていきたいと思う。
1.潜伏キリシタン 世界遺産に
~先祖を大事にしなさい~
禁教令により、約250年もの間迫害を受けながらも自分たちの信仰を貫き続けた時代があった。
参考サイト
https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900003/
書ききれないほどの歴史を博物館で学び、その深刻さなどを目の当たりにした
・1587年と1596年に禁教令を布告
・島原一揆などで迫害加速
・17世紀中盤には鎖国がほぼ完了し、キリスト教への弾圧が強化
・日本二十六聖人の殉教 見せしめとして公開処刑
・信徒発見で世界が湧く中、五島崩れが起き、一斉摘発
・明治時代になり、禁教が解かれ、五島にいくつもの教会が建設
その歴史は悲痛なものであり、本当に心が痛くなるほどのものだった。
先日ベトナムで博物館に行ったときAgent Orangeでかなりの衝撃を受けたが、より近い強い日本人の日本人による迫害はまた違った重さを感じた。
ただ、わからないことは2つほどあった。
(1)なぜそこまで信仰を貫くのか
無宗教であるため、そこまで宗教に詳しくないので、基本的な疑問があった。
確かに五島の歴史を見たとしてもザビエル以降に来日したキリストの宣教者からの教えがあったと書いてあったが、実に難しいと思ってしまった。
日本は多神教であり、日本の宗教自体の発展もあったが、そこになぜキリストという異国人が信仰するものを信仰し、迫害を受けるにも関わらずそこまでキリストへのこだわりを貫いたのだろうか?
信徒発見と歴史的出来事にまでなった要因はなんだろうか?
(2)禁教令が始まった理由
歴史上ではイエズス領などと言われる地域が長崎に出てきてしまい、時代を統括するものとすれば危険因子でしかなかったから。
などと書かれているが、なぜそこで迫害という形をとったのだろうか?もっと他の形はなかったのだろうか?恐怖で縛ることがこの時代のあたりまえだったのだろうか?
URL
https://nihonsi-jiten.com/kinkyourei/
訪問したことをきっかけにより一層、宗教に関してわからないことだらけ、時代における考え方もわからないことだらけとなってしまった。
『先祖を大事にしなさい』
五島のまささんから言われた一言でこの宗教ともつながった。
今の自分が生きているのは親や友人だけではない。1つ1つの今までの祖先がいたからこそ今の自分が生まれたのだから、それを大事にしなさい。ということだった。
まさにそうだなと。
先祖がどのような時代を生き、どのようなことを考え、生きてきたのだろうか?
大きく言えばその歴史を知ることは先祖を知ることにつながるかもしれない。そして、人類が発展したとしても宗教という形で『教え』が生きているからこそ、それを知ることも1つとして大事なのかもしれないと思った。
大学4年のとき、自分の進路選択へ大きく影響を与えてくれたご先祖様。
5年が経ち、もう一度人生の岐路に立ってるからこそ、先祖を知い、未来を描きたい。
2.経済の違いが生き方の違いを生む
今回、五島に来て感じたのが経済の違いがあるということだ。
もちろん、それは所得や物価などにも影響を与えているが、それだけではない。産業構造自体が第一次産業、第二次産業が多いということだ。
島で出会った人たちの職業を考えてみると
・墓石屋
・居酒屋
・クーラーなどの修理
・車の修理屋
など職業は様々であったが、飲食以外のサービス業や情報産業などは一度も見かけなかった。
確かに経済発展はそこまで大きく進展してないが、エネルギー問題に関しては風力・太陽光が主流となり、スマートアイランドに向けての歩みを着実に踏んでいた。もちろん、東京都は異なり、他の島とも違う側面を多く感じた。
そんな彼らの生き方だが、個人的には本当に好きだった。
多くは望まないが、本当に幸せそうだった。一軒家を5万円以下で借り、子供を数人抱え、釣りをし、潮干狩りをし、ドライブをし、好きな仲間と好きな時間を各々が過ごす。
そこに焦りはなく、悠々とした時間があった。
もちろん、刺激的な毎日を求める方は絶対に向かない。東京であればお金を武器にほとんどすべてのことを自分一人で行うことができる。
しかし、この島にそんな概念はない。最近私の好きな理念『共生』がこの島で体現してるように感じる。
彼らは全てを1人で行おうとしない。食材1つ調達するのも得意な仲間がいて、その人が手助けをしてくれる。それが本当の人間のあり方ではないだろうか?
1人では今のこの豊かな暮らしを体現することはできない。
世界最大の発明は等価交換の発明であり、一人一人が生む価値の交換を加速させるために『貨幣』が誕生した。大きな文明改革であったことは間違いない。
しかし、あくまでも貨幣はツールであり、貨幣だけに頼らない生き方をここでは体現してるように感じた。年齢差も男女の差もない。本当に平等な関係性を保ち、お互いがお互いの幸せを生み出すそんな形である。
3.旅を終えて
本当にまだまだ言語化が追いつかないほど様々な感情が生まれ、考えが生まれ、貴重な経験をさせてもらえた。
ただ、1つあげるとしたら『生き方』を学んだと言えるかもしれない。
大学時代に屋久島へ行ったとき『太くて強い根を張りなさい』という言葉でこれからだけではなく、今までの友人や師弟関係を大事にしなさいという言葉からこの五島では『先祖を大事にしなさい』という言葉で生きている時間だけではない、大きな過去のそして、未来の時間軸さえも視座に含まれることになった。もっと大事にするためにも『知る』ことから始めたい。
そして、もう一つは貨幣に依存しない生き方である。誤解を招かないようもちろん五島にも貨幣は存在する。笑 お金を稼ぐためにローンを完済するために必死に働いている。
けど、彼らの幸せは貨幣で土台を作り、関係性により享受してるように感じた。
最低限住むこと、着るもの、食べるものなどは貨幣でしか得ることはできない。しかし、その先にある幸せや笑顔は人とのつながりから得ているように感じた。
東京では目の当たりしない非日常が島での日常だった。もちろん、東京で同じ体験をできるとは思わない。しかし、貨幣を追い求めることだけが幸せではないと改めて学ばせてもらった。
生き方は多種多様であっていい。けど、自分だけで生きていけるなんて誤解をしながら生きてはいけない。お金があれば全てが叶うのが東京かもしれないが、本当は大事になにかを知らないうちに失ってしまうのも東京である。
東京という弱肉強食の世界で生きたとしても、何歳になっても、『人』を大事にすることからはぶれずに生きていきたい。
最後に
『令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております。』
*ぼくもちゃっかり調べていました
URL
https://kazahanamirai.com/reiwa.html
令和という時代の幕開けにふさわしい旅だったと締めたい。
美しい心とはきっとおもいやりという意味であり、その中で今までの日本を踏襲した新たな文化が生まれる。そんな時代を私は生きたい。
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