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ずっと特別な夏にしよう


毎年、想う。『この夏は特別な夏にしよう』

その想い通りに夏を過ごし、その夏でしか経験できない特別な夏を過ごしていく。そんな特別な夏を初めて過ごしたのは17歳の夏、甲子園予選である。

小学校3年生から続けていた野球の集大成がそこにはあった。毎年、夏になるたびに、『夏なんてなくなればいい!!』と思うくらい1リットル以上の汗を毎日のようにかき、どろだらけになりながら白球を追いかけていた。

しかし、17歳の夏だけは違った。感覚的に、この夏が最後の野球になると感じていて、この夏の訪れとともに不安な感情が流れていった。

自分はこの野球人生、悔いがないと言えるのだろうか?
野球をはじめて10年。当時で言えば、大半の人生を野球とともに過ごしていき、漫画も本もドリームスやH2、プレイボールなどの野球漫画とバッテリーなどの野球小説漬けであった。
主人公のような『特別な夏を』自分は過ごせているのだろうか?

この気持ちから、『特別な夏』は始まった。

そこからというもの、野球という競技に対してだけではなく、組織に対しての向き合い方が変わった。
・もっと後輩投手と外に出て、走ろう。たくさん、話そう。
・壊れたボールをマネージャーと縫おう。そして、たくさん話そう
・居残ってみんなとグラブを磨こう。雑談をしてみよう。

そう、私は一匹狼だった自分と決別し、もっとコミュニケーションを取ることをこの夏から始めた。
面白いことに、人を知り、組織を知り、もっともっとチームが好きになり、この夏1日でも長く野球がやりたいと心から思えた。

しかし、夏の大会は訪れ、私たちは4回戦敗退という結果に終わった。
ただ、そこまで試合1つ1つは今でも鮮明に覚えてる。

・試合始まる瞬間の円陣でのかけ声
・スタンドが同級生でうまり、その声援と顔が一人一人鮮明に見えながらバッターボックスへと向かう時間
・満塁というピンチを三振で切り抜けた後のバッテリーのハイタッチ
・最終打席、センター前へと理想的なヒットを打てた瞬間

2回戦圧勝し、3回戦逆転勝利をし、4回戦大敗を喫した。
結果から見ると決して、特別な夏ではなかった。しかし、個人の記憶からするとその瞬間の匂いすらも鮮明に思い出せるほど、その夏は特別だった。
きっとその理由はこのチームで最後の野球を迎えられたからだと思う。

それから、私は野球を辞めたが、毎年夏になると『特別な夏にしよう』と心に決めている。
今年はだれとどんな場所で夏を過ごそうか。

・諏訪で同級生40人で過ごした夏
・初めての離島で過ごした東京人と現地人の交わった夏
・バイクで中国地方を周り、先祖を巡った夏

本当に今までもたくさんの特別な夏を過ごしてきた。
ただ、その夏には必ず、甲子園予選のようにたくさんの人がいた。

今年の夏もそう。
15人の友人と熱海で大人の修学旅行をし、いろんな時間を共有した。
そして、そのあとは五島へ行き、五島人とたくさんの時間を過ごした。

同じ夏は来ない。ただ、あの夏の日々をずっと思い出せるほど特別と思える夏を今までも、これからもずっと過ごしていきたい。

そうすれば、きっともっと大人になっても何歳になっても、友人と言えるはず。

『あの夏に乾杯』って

#あの夏に乾杯

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