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きっとあなたは天使の、きいろ。

じりじりと熱を帯びる太陽の光を目を細めて見上げるときも、

空に浮かんでいることさえ忘れそうになる優しい月の光を目に映すときも、

いつも少し薄っすらと黄色を帯びているように見える。

思えば金が放つ光も、ホタルの光も、自然から生まれ輝くものはいつも黄色だった。


そうやって光をたたえていた黄色は、以前は金とセットであり、【黄金】として色々な宗教・信仰において「光輝」の象徴だったし、錆びない金の色として「富貴」や「権力」の最高級の色になった。まだ今よりずっと宗教の力が強かった時代には、植物のサフランで染められた少し赤みのある黄色は、当時のローマの神官や巫女が身につける色として大切に扱われていた。

いつまでも、光り続ける黄金。錆びない美しさは、不朽、永遠、不滅を表すまでとなり、人々の心を豊かにした。

その黄色の評価が一変したのは時代が中世に入り、キリスト教の中で金と黄色が明確に分けられるようになってからだ。金は崇高な輝きで人々を照らす光で、神の肌や骨は金でできているとまで言われた一方、その反動で黄色は否定的な意味に偏り、裏切りや卑しさ、異端者の色として扱われるようになる。

黄色からはあらゆる光が消えた―――

特に決定的だったのは、キリストを裏切ったユダの色として黄色が使われたことだった。絵画の世界では、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」でも、ジョットの「ユダの接吻」でも裏切り者のユダは黄色の服を着せられて描かれていた。そこから、ヨーロッパ各地では黄色は良くない色の象徴になってしまう。スペインでは処刑されるものに黄色い布を巻き、世界大戦でナチスは社会的差別の手段として、ユダヤ人に黄色い星形をつけた。

人間の最も醜い「差別」という現象、感情に付き合わされてしまった色。

異質なものを受け入れられない、それだけで他人を陥れ、時には殺しまで行う。その醜さも、差別を受けた人の涙も見てきた色。少し違う見方をすれば、理不尽に虐げられた人々に一番寄り添ってきた色。それが、黄色だ。

その後、悲惨な戦争が終わるとともに、多くの現代的な絵画たちの中で黄色はゆっくりと再び光を取り戻していった。有名な画家たちが積極的に好んで使った結果、黄色は現在では光のイメージ、躍動感、生命にあふれる子供たち、元気やにぎやかさの象徴として使われている。


私は一連の黄色の歴史をなぞるほどに、黄色は神様みたいだと思った。人間が住む浮世の天と地を見た色だからだ。酸いも甘いも、ぐらいのレベルではない、一番神様に近い色と崇められてから一転、血反吐を吐くような汚い場面をも見てきた。それでもなお、光の色として人間の側に、身近にあり続ける色。

でも、やはり神様は金色かしら。だとしたら…

そう思ってふと、参考のために見ていた絵画に目がいく。ふくふくと柔らかそうな肌、小さな体が宙に浮いている。くるんとした天然パーマのブロンドに、小さな腕の側から巻き付けられた黄色い布。その絵と、黄色の「生命力にあふれた子供たち」というイメージが重なる。

ああ、そうか。黄色はきっと、天使なのよね。

神様とともに、善人悪人関わらず全ての人を見守る天使。光の子供である天使。

優しい眼差しをたたえた色。





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色にまつわるコラム・エッセイ集始めました!

歴史、文化、細かい色の名前などから
色の世界をのぞきます。


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