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大切に想う気持ちを広げる、むらさき。

大切にされたい。

この想いは、今も昔も変わらない。『大切にされたい欲求』が根底にあるからこそ、昔はあんなにも身分に違いがあったのかもしれないと思う。もちろん、位の高かった人はそれだけ大きな功績を残した等の理由はあるかもしれない。けれど、人が人の上に立ちたいと願うのは『こんなに立派なことをした私(立派な生まれの私)は大切にされるべきである』という叫びにも見える。



『高貴で位が高く、大切にされるべきもの』
ずっと昔はそれが明確で、その人々が身につけた色が、紫だった。
位の高い人しか身に着けられなかった理由は明確で、昔は、きれいな紫に染め出すために大量の原料と確かな染色技術、手間が必要だったからだった。日本では紫草(むらさきそう)という植物を原料にし、欧米では貝からとれる分泌物を使っていたが、大量の原料と技術が必要なのは同じだったため、紫は世界中で『位の高い人しか身に着けられない憧れの色』となる。

当時の人々の紫への憧れは狂気染みていた。歴代のローマ皇帝は自分と皇位継承者だけ身につけて良い色として紫を指定し、それ以外の者が身につけた場合は死刑となった。日本でも平安時代から位の高い色として扱われ、とうとう江戸時代には紫衣法度(しえはっと)なるものができてからは、位の高いお坊さんなどであっても、紫を身につけるには幕府の許可が必要となる。

そんな法律まで作り、人を殺させるほどに紫は人々に憧れを抱かせ、権力と欲の象徴だった。しかし、時代とともに身分の差がなくなると、染色技術の発達で簡単に染め出されるようになり、高貴な色としての意味は廃れていく。その中でゆっくりと盛り上がり、今でも残っている素晴らしい意味が、紫にはある。


表の世界では『権力と欲の象徴で、高貴な人しか身につけられない紫』は、歌の世界では会いたくて会えない人や、高嶺の華である人を想う気持ちのモチーフとなる。

【紫草(むらさき)の色付(にほへ)る妹を憎くあらば人嬬(ひとつま)故に吾(あ)が恋ひめやも】
紫の衣を美しく着る高貴な貴女を帝と同じように慕わない人はいません。貴女は帝の皇后ですから私を始め皆がその慕う気持ちを表さないのです。

これは天皇の妻に恋をした者からの恋の歌とされていて、ここでも紫の衣という表現が出てくる。高貴な人であると同時に、慕っていると直接言えないぐらいあこがれの人。その人がまとう紫は、更に特別な輝いた色に見えただろうなと想像した。

紫をまとうにふさわしい、自分にとっても周りにとっても大切な人。そんな尊い目で見つめている絵が想像できるくらいに優しい歌である。

そして、もう一つ大事な歌がある。

【紫のひともとゆへに むさし野の草はみながらあはれとぞみる】
一本の紫草を愛しいと思う故に、全ての武蔵野の草が愛おしく思える

これは、野原に咲く紫草を好きな人に例えた歌で、愛おしい人ひとりを想うだけで、その人の周りの人たちもとても大切に想えるという意味がある。
紫草の根っこは触れただけで色が移る、その色のように大切に想う気持ちもどんどん移っていく。広がっていく。周りに伝播し、人を幸せにしていく。そんな願いにも似た愛おしいの気持ちの美しさを歌った歌。

この歌がきっかけで、紫は人と人との縁を表す「ゆかり」という読み仮名がついたと言われている。そしてその呼び名は今でも「上品で、人と人との縁を大事にする人になってほしい」という願いをこめて、人名に使われる。大事な子供に授ける、紫(ゆかり)という名前。その子を大事に想うとともに、将来の縁の繋がりと大事な人がたくさんできることを願い、紫に託す。やはり今でも紫は、高貴な色である。







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