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天岩戸の中、只人は一人パーティナイト(おまけで理想のパートナーを求める権利がない話)


突然だが、今年一番無駄で、今年一番アガる買い物をした。それがこちら。Amazonにて1800円くらいで買ったミラーボールである。


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USB端子タイプの小型ミラーボール。見た目に反して光の圧は強め。


私はライブへ行くことが生きがいだ。いまだに人生で一番楽しい瞬間は酩酊し頭グラグラの状態で生音の音楽に縦ノリすることだと信じて疑わない。一番ヤバかった時期は仕事帰りにチケット取って夜通し飲酒して跳ね散らかして筋肉痛に痛む足を引きずりながら朝帰りしたり、ツアーの地方公演へわざと行ってついでに旅行したり、野フェスでエナドリとアルコールを交互に飲んで疲労のあまりテンションぶっちぎれて次の日完全に死んでいたりした。 社畜すぎてフラストレーションMAXだった時期のことだ。つい2年前までそんな感じだったのが恐ろしい。

こう書くとなんかパリピみたいだが、最近までパリピの自覚がないどころか隠キャだと思っていた。なぜかと言えば、めちゃくちゃインドアだった&正直友達が数えるほどもいなかったからである。
世に言うパリピは、ノリが良く、コミュ力があり、なんかめっちゃ仲間がいるイメージだ(と思う)。いっつも仲間内でパーティしてそうな感じ。
対して私は、『自分のコンディションさえ良ければ』という条件がつくが、割とノリがいいし、コミュ力もあるように装えるようになった。後天的に身に着けたような気がするが、パリピ的素養は多分4割くらいある。ただし、前述の『コンディションが良ければ』という前提条件がクセモノで、コンディションが悪いと精神と時の部屋ならぬ天岩戸に籠らないとメンタルが死ぬ病を患い続けている。

これは幼少期に病弱すぎて外遊び厳禁だったため室内で読書とお絵かきの反復横跳びをし続けた結果、外遊びに対する興味関心を完全に失ったのが由来だと考えられる。以降小中高大と学生時代をまるっとセルフ天岩戸で過ごし、知識欲を満たすことに血道を上げ続けて、気がつけばアラサーだった。(ちなみに、大学時代はとにかく金がなかったのでひたすらバイトと課題に追われて終わった)
しかも親の教育方針だったのか漫画の存在を積極的に教えられず育ったため、中学に入るまで図書館にある歴史漫画や手塚治虫等を筆頭とした名作漫画のみを『漫画』と呼ぶのだと思い込んでいた。(ちなみにアニメは普通に見ていたので、世にあるアニメはすべてオリジナルアニメだと思っていた)全体的にそんな感じだったので、流行り物にも疎く、年の割には小難しい本を読んでいる大人にも子供にも超絶とっつきにくいクソガキ…もとい、悲しきキメラが誕生してしまった。
なお、父親がゴリゴリの過激派洋楽オタクだったため、流行りのJ-popなんかも知らなかった。共通言語なしでの学生生活はだいぶ縛りゲーハードモードだ。”詰み”である。

余談だが、人生で初めて見たPVはKraftwerkの『The Robots』だった。EDIT版のPVもイカすので貼っておく。

オタクの自覚がある人はお分かりかもしれないが、好きなものをシェアできないというのはなかなかフラストレーションが溜まる。当時はSNSなどなかったので余計にぼっちだった。ただ、当時はとにかく知識欲を満たすことが楽しくてしかたなかったので、時間が許す限り知識を詰め込んでいて友人の優先順位が低かったから特に困ってはいなかった。放課後遊ぶまでいかなくとも、雑談できる程度の友人はいたし。(この距離感の人間を友人とするのはちょっと微妙な気もするが)
例えば、モー娘。全盛期にトレカを集めていたクラスメイトからもらったダブりカードを、興味はないが捨てるのもしのびないのでその時図書館で借りて読んでいた三島由紀夫の『金閣寺』にしおりとして使っていたことをよく覚えている。ちなみに、そのカードは本の返却時に挟んだまま紛失した。あのときカードをくれたクラスメイトの顔も覚えていないあたり、どれだけ当時の私に社会性がないかよくわかる。

こんな感じで、天照大御神と違って周囲にパリピどころかろくに友人が居なかったので(そして人間風情が引きこもったところで世界には何の異変も起こらなかったので)パーティに釣られて岩戸から顔を出すなんてこともなく小・中・高と天岩戸ルームに引きこもり続けた。
そんな引きこもりも成長すると、天岩戸に籠りっきりでは社会生活を営む上で難だということに気づいた。対応策として厨二病拗らせた大二病患者となり果てていた私はある時ギャル人格をインストールして対外的なペルソナを装着する術を覚えた。人格をポジティブなギャルにすれば、いくら内面がめちゃくちゃ猜疑心まみれの厨二病でもなんとか他人とコミュニケーションをとるくらいはできたのだ。そうすると、自我の切り替えとともに思考の切り替えもできるようになった。天岩戸を他者からの不可侵領域(パーソナルスペース)として定めたためだ。天岩戸を軸として、触られたくない自我を退避させつつ、意識的に感情や人格を切り替えるようになったのだ。これによりだいぶ社会で生きやすくなった。『平成狸合戦ぽんぽこ』における、餌目当てに里に下りる化けた狸みたいなもんだ。資本主義とは偉大である。(最近なんかギャル人格にだいぶ引っ張られているような気がするが、話が長くなりそうなので別の機会にでも言語化しようと思う)

話を戻そう。マインドの天岩戸に半引きこもりの仮面パリピは、ミラーボールを買った。
昨今の情勢的にライブハウスやクラブへはおいそれと行けない。とっていたチケット全て公演中止が決定して、すでに最後にライブに行った日から2年以上の歳月が経過していた。もう限界だと思った。深夜まで仕事をした後で、妙に気持ちが昂っていた私はその時トリスハイボール濃いめを煽っていて、完全に気の迷いで検索したミラーボールをアマゾンお急ぎ便で買った。アマゾンは本当に優秀で、次の日の夕方にミラーボールは届いた。日没まで待ち、USB端子に繋げるとびっくりするほど秒で光る。安物だからかスイッチとかそんなしゃらくせえもんは実装していないタイプのミラーボールだった。マイクが内蔵されており、音に反応して光り方が変わる。値段の割に芸が細かいが音の拾い方は結構雑なところが逆に好感を持てた。こなしてもこなしても仕事は終わらんし、寒暖差激しくて体調も芳しくなかった私はだいぶむしゃくしゃしていた。が、アホみたいに元気よく光るパチモンのミラーボールを眺めながら濃いめのハイボールを飲んでたらいろんなもんがどうでもよくなった。
もちろん、そりゃあライブのほうが断然いい。ライブの楽しさを100だとするとおうちクラブは30くらいだ。だが、まったくの一人で気に入った音楽流しながら、安いミラーボール光らせて酒を飲むのはライブにはないダウナー的開放感があった。『なにしてんだ、私』という脱力感含めてなんか楽しいのだ。マジで現世での悩みとかアホらしくなる。私にとってのグリーフシードは1800円のミラーボールだ、と思った。誇張なしで浄化された。ダメ社会人を7年程やっているが、ライフハックとしてダントツお勧めの行為だ。


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ミラーボールを点灯させた我が家。立派にイカれたパリピ空間である。

ところで、このnoteを描いてる途中、Twitterタイムラインで『理想のパートナー』の話題がぽつぽつと上がっていた。なるほどパートナー。よくよく思い返せば「ま、いつかできたらいいな」以上を考えたことがなく、具体的な理想像がなかったとこの時気付いた。
理由は簡単、今のところ特に必要だと思わないからだ。
何せ、私はフラストレーションをミラーボールで解消する人間だ。自分のチューニングは自分でしたいのは、裏返せば他人にチューニングされることに抵抗感があることの表れだ。(ちなみに、他人のチューニングはやりたくない。だって責任取れないから)ずっと天岩戸に籠って自己開示することを拒否し続けてきた人生なので、自分の中である程度整理・ないしはネタとして消化できると踏んだ情報だけが他人へのシェアが可能となる。要は、芽生えたてほやほやの愚痴や負の感情の共有なんかがめちゃくちゃ苦手なのだ。ウェットな話がとにかくできない。過度に共感することも、共感されることも地味な嫌悪感がある。自己と他者の境界線がぼやける気がするからだ。

そもそもパートナーという言葉が私には重い。なんとなくの印象だが、お互いがお互いの唯一とか、そんなイメージがある。私は正直私のことが好きでも嫌いでもない。他人に受け入れてほしいともあまり思わない。そも他者と相互理解に至ることは土台不可能だと思っているから。ただ、『こう生まれついてしまったから、まあしょうがないか』という意識のもと、開き直って諾々と生きている。ある程度有意義に人生を使おうとは思っているが、まあ基本自分にあまくぬるくゆるく生きている。そんな人間なので、良くも悪くも自分にも、かつ他人に対しても興味が薄い。

そんな私の理想のパートナーと言えば、強いてあげるなら『ある程度距離感がとれて、自己と自我がある程度確立してる人』くらいのもんだ。もうこれ、私が必要以上に人と関わりたくない・めんどくさいことを被りたくないと思っているのが前面に出すぎていて正直パートナーを選ぶ権利なくね?と思う。あまりにも自己中心的すぎる自覚はある。
ただ、とにかく自分が楽に生きることに重点をおいている私はこの自己中心的な考えを変える気がないので、パートナーなしで行けるとこまで行くのもありかな、なんて思っている。なんてったってパリピの友人がいなくてもひとり天岩戸の中でパーリナイできるタイプの人間だから。いやまあ、パートナーできたら変わるかもしらんけど。ただ、以前『彼氏できたら変わるかも』でトライしてエラーが複数回出てるので、正直そのあたりあまり期待していない。

ただ、パートナーができなくても、たまに集まってアホなパーティができる友人ができたらいいなあなんてことを夢想するくらいは許されたい。何せ私の人格の4割くらいはパリピなので。

最後に、コロナよりだいぶ前におうちライブハウスを提唱していた推しバンドのPVを紹介して終わろうと思う。
HINTOで『アットホームダンサー』(2013リリース)

それでは。

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