ある人間

 ある人間は老いることを恐れた。体中を皺と渇きが覆いつくし、思考が鈍磨していくことを何よりも恐れた。何十年後、自分が見るも無残な姿になってしまったときのことを頻りに妄想するたびに、何か重大な失態を犯したときによく感ずるあの悪寒、絶望に似たものを経験し、涙を目に浮かべた。彼はエイジズムに囚われていた。
 そして老いを恐れる一方で、彼は自身の夭さを自負していた。彼は自身の容貌の美しき幼さを狂信していた。湖面に映る自身の素顔に見惚れるナルキッソスが如く、彼は常日頃から鏡を見ることに夢中であった。それは先に述べた恐怖からの逃避の一手段であった。彼の眼前にあるもう一人の自分、その者が彼のとる仕草を一挙手一投足真似る——虚像なのだから当たり前だが、彼はそのように思っていた——度に、これが自分、この美しい者が自分なのだ、と考えて自己の美への確信を補強して満足するのだった。そこにはある種の不安定なユーフォリアが存在していた。絶望が背にある多幸感。彼は勿論気づいていた、こう恍惚している現在も、私は僅かに老い耄れてしまっていると。だからこの昂ぶりが終われば、再び老いへの恐怖に身を寄せねばならない。そういった目に見える結末が鏡から目を逸らすことを躊躇わせた。
 彼はいつしか自分の虚像が鏡を越えてくれることを願い始めていた。そうすれば決して怖がることはない。いつかは耄々として漫ろに生きてしまうという悪夢から常に逃げることができる、そう思って彼は願った。彼は鏡面に映る自分をまるで他者のように扱い始めた。つまり虚像が正しく自分を真似する他者であると強く思い始めた。彼はその「他者」を自分と同様に愛した。その愛は肉欲的な性質を帯びており、彼は次第にその「他者」が女装し、自分と性交してほしいという思いを心に宿したのだった。彼は鏡の世界にいるもう一人の自分が美しく女性服を着飾り、自分によって純潔を汚されることを望んだ。それを考える度に彼は下腹部を熱く迸らせる。彼は自他を分離させつつも、癒着させる、そういった矛盾を懐孕するという奇妙な経験をしていたが、それはマゾヒズムに基づく性的倒錯の一種であると仮定するのならば、想像に難くない。何故ならそれは鑑賞的性質を持つからだ。被虐性愛は苦痛の内に快楽を見出すのではなく、苦痛を強いられている自己の客観的判断により、自分が弱い人間で強者に支配され、奴隷として扱われるのだというタナトス的絶望、そしてそれからの脱出を企てる際の生的顫動により性的快楽を見出すのである。この場合自己の状況は一旦主観的に判断されるのではなく、極めて観照的に判断される。彼は鏡面に映る自分を他者と妄想しつつも、結局は自己の虚像であるという気づきを先の被虐的悦楽を獲得する際の過程にて行っていただけである。彼は次第に女装に耽るようになった。
 女装したまま自慰すると、家父長制的オーガズムよりも激しい快楽を得やすい。人間が絶頂に至る時、骨盤が震え、それに伴い脳がそこを中心に快楽を知る。しかしその際ペニスを用いたウェットオーガズムを行っていると、快楽が尿道からペニスの先端を通り、龍脈的放射してしまう。これによりリビドーの滞留時間は極めて少なくなり、男性絶望がすぐさま生じるのである。女性がその男性絶望を得にくいのは、骨盤を中心とした内的性感により、快楽が龍脈的放射しないからである。彼はその事実にいち早く気づき、なるべく女性的オーガズムを獲得するように方法を模索するようになった。女装したまま自慰すれば、疑似的龍脈的滞留を若干生じさせられるので、その分快楽は得やすいが、やはり基本的には家父長的である故に放射してしまう。そのためペニスを用いない方法で性的快楽を得る手段を考えた。
 彼はソドミーを企てた。男性でありながら受動的性交を行うには肛門を用いるしかないと思ったからだ。彼は「肛門」という言葉からよく「歴史」という概念を連想していたのだが、それは彼がAnalからAnnalを無意識的に導出していたからであった。それに気が付いたとき、彼はnの数に注目した。前者はnの数が一つに対し、後者は二つである。所でNの起源は蛇である。蛇は不死性の象徴としてアスクレピオスの杖に用いられる。ということは、「肛門」は排泄物を出す場所として死を司るが、それに不死性である「N」を加えることで輪廻的性質を持った通時的要素という意味を持たせるのではないか?そう彼は考え、ならば肛門にディルドを入れることは、蛇の導入儀式になるのではないかと思い、そこに永遠的なリビドー、つまり半永久的龍脈的滞留を見出そうとした。
 彼はディルドを購入した。それは彼が自分の中に入れられると想定するよりも数段大きかった。しかし彼はわざと買ったのだ。巨大なペニスの対象化は自身を女性であると認識するのに十分であると思ったからだ。そしてそれが処女性の克明を果たしてくれるという思いもあった。彼はそれを購入した際、下腹部が熱くなり、そこから何かしらの恍惚が生じていることに気づいた。彼はこの恍惚を自分が女性化しているということの兆候であると信じたのだ。
 彼は鏡の前にそれを鎮座させた。一見変哲もないものであったが、しかし彼にとっては何かしらの神聖さがあった。その真上には女装した自分。彼は自分がエラガバルスの生まれ変わりなのではないかと思い込み始めた。正しく破瓜型統合失調症の持つような少しずつ崩れ落ちる誇大妄想なのかもしれない。彼は未だ己の純潔を汚していないのにもかかわらず。
 彼は少しずつ腰を下ろす。今回彼はいつもと異なり、タイツを穿かず、サイハイソックスを穿いていた。彼がいつもタイツを穿いていたのは、ある種のフェティシズムのあらわれであったのだが、それ以上に彼にとってペニスを隠すという行為に両性具有性の有無に関する神秘性を感じていたからである。そして貞操を守るという性質もあった。しかし彼は今回の儀式のために断腸の思いでタイツを穿かなかった。
 既に彼の肛門はローションが塗られ、このディルドを迎える準備が施されている。彼は肛門をほぐさなかった。彼は今まで未経験のまま、この自慰行為に臨む。それは彼がこの儀式において、処女性を重んじたからである。処女性は夭さの象徴であるから。
 ここで注意せねばならないのが、これから行われる儀式の内容が、決して夭然性を犯すようなものではないということである。処女性というのは破瓜の経験を以てして存立するものであり、それを無くしては処女たる故の夭さを実感することはできない。非処女であることが、特別羸老に結びつくこともあり得ない。処女も非処女も結局は老憊に至る。
 一方で処女性というのは麗らかさを持つ。文化によって跡付けられたものなのかもしれない。淫蕩に耽ることは殆どの宗教で禁じられていた。淫猥に身を任せることは身の破滅を促すと信じられてきたからである。それは阿片であり、一度覚えてしまえば、それを止めることは出来なくなる。そうして身も心も蝕んでいき、最後は無残に老いて死んでいく。そうした連想のもと、悦楽を妄りに得ることは禁じられ、故に何も性の喜びを知らぬ、処女が尊いものとして崇められていったのだ。処女は次第に形式化していき、今や特定の人間のことを言うのではなく、その性への無知、無垢な子供への礼賛に近しい性質を獲得したのである。
 彼は処女性が決して無垢な少年少女にのみ宿るものではなく、それを愛し、経験しようとする人間に宿るものであると固く信じていた。更にこの明確化が永遠の夭さを擁立するのではないかと思料した。微弱な処女性を有したところで、快楽の龍脈的滞留は達成できない。ならば自分が非処女になることによって、処女性を明らかにしようとしたのである。
 処女性は上に非有界である。それが無限大になるのは、有界である処女の境界へと内点性を保ったまま限りなく近づいたときである。つまり彼にとっては、ディルドの亀頭が肛門をこじ開け、ソドミーが達成される直前である。そして無限を経験した後、永遠の夭さを手に入れるのだと彼は確信していた。
 ディルドと肛門が接触するまでに腰を下ろすと、彼は静かに深呼吸をした。これからどのような痛苦を受けることになるか、その痛みの酷さを克明に知りはせずとも、結局は拷問のようなものとなるとは直観していた。それ故に仮令この儀式が神聖不可侵なるものであると知っていても、自分がその贄になることへは少なからぬ恐怖を覚えていた。目を瞑ると、瞼の裏の夜に微かな色を見つけた。しかしそれを知覚し、何色かと判断しても、最早その色を思い出せなかった。
 彼は覚悟を決め、右手でディルドの位置を固定して、腰部を下ろした。少しずつ肛門が開き、それを飲み込んでいく。それと共にやってくる激痛。彼はその痛みのあまり、一度中断してしまいかけた。しかしその行為が処女性を消失してしまうことを思い出し、彼は再びディルドを肛門に宛がった。
 ふと彼は自分の肛門の異様な感じに気づき、指でその皺の付近を触れた。だが、触れた指を見ても何も異常なことはなかった。ローションを塗りすぎたから?……いや、それにしても何かかさついているのに……激痛の合間にそのようなことを考えていた。部屋の隅は照明の光が届いておらず、霞んだ目では捉えることができない。彼はその昏い角から不穏にも鶏の鳴き声を帯びた不義を感じ取った。何か物足りなく思ったからである。物足りなさ、それは決して珍しいものではない。私たちが日頃から感じ取ることができるものだ。しかしそのような卑近な例であるのにも関わらず、物足りなさを感じることは何か超常的であるように思えた。フラストレーションは決して個人の中に留まらず、その閾を越えるようなものであるように思えた。彼はこの感覚の内に不安を感じ取ったが、それが正確には何か悟ることは出来なかった。
 彼は稍して、遂に亀頭の部分を飲み込むことに成功した。裂けるような感覚がしたわけではないが、臀部の周りから明らかな楚痛を覚えていた。その痛みは少しずつ彼を客観化させ、哀れな奴隷として再誕生させた。しかし彼は決してバラバのような傲慢さを兼ね備えてはおらず、自己愛を隣人愛へと変容させるイエスの可能性を秘めていた。彼は涙した。頬を赤らめ、まるで自分が見知らぬ男に今から犯される女性が抱く恐怖を憑依的に作り出し、客体的に成立したマゾヒズムの波に包まれたからである。彼は鏡の向こうの彼女に向って、
「嗚呼……貴方は倩しい……でも仕方ないんです、今から私は犯し犯されるのだから!」ととりとめもないことをつぶやいたのだった。彼女に対して抱いた卑しい肉欲であるが、それと同様に畏敬の念によっても構成されていた。この相反した思いは「N」なのかもしれない……そういった荒唐無稽な思索が無意識的に生じてもいた。彼は切羽詰まっていたし、落ち着いてもいた。あらゆる矛盾の静寂が彼の胸に宿り、穏やかなカコフォニィが構築されていった。
 「犯される」という受動的性交は「女性」というイデアの一部分である。これは余りにも不公平であると彼は思いつつも、紛れもない真実であると論決していた。生物学的な雌雄の決定に基づく、性交の受動性と能動性について彼はそれが人間の性別に於いて重大な決定を齎していると考えていた。彼は性別について、それが二元的ではなく、座標平面上の内で駆動する自由意志的存在であると思っていた。x軸を主体性別、y軸を対象性別としたとき、受動的か能動的か否かについてはx軸上を動く要因となりうることを彼は予想していた。そしてx→+∞と究極的受動的になることは同値であるとして、彼は破瓜の達成が究極的受動性或いは龍脈的滞留の実現を叶えるとした。再生が破壊のピュイサンスを必要とするのは、なんともクリシェ!しかし真理は常にクリシェなものだ。
 彼は腹部が圧迫されていることに、与謝野晶子の逸話を空想した。鉄幹のためにバナナを膣で温めていたという話。バナナは黄色人種の乳飲み子のメタファーなのだろうか?ならば+∞の理由が分かるだろう……しかしそのための媒介変数の始域は+から-へと動く……デモリッションであるから……彼は腸壁の破壊を基にエロスの極地へ至る。
 嗚呼、良かった……私はナボコフではなかった!肛門を広げ、腸壁を破壊する音の心地よさを知ったからだ……彼はその破音が「白鳥の湖」のような響きを持つことに気づいた。Death Disco。決して母のために捧げるのではない、これは私のための曲、今や私はジークフリートであり、オデット。彼はロットバルトに感謝したく思った……何故なら私を処女として目覚めさせ、私の内面の暗部、それがオディールであると教えてくれたのだから……
 ふと彼は名状しがたい絶頂が訪れてきているのを認知した。今までの手淫では辿り着けなかった喜悦。彼は最初、このオルガスムスが受動的性交の疑似的成功によるものであると思い、嬉しく思った……しかしそれはペニスへの来訪であった。彼は疑問に思った。いや、不安を感じたというべきか。果たしてこれでよいのだろうかという思いが脳裏をよぎった。こうした不安の陰翳は湿っているものだ。夏の日照りのもと発汗した人間の膕のそれ。それは時にむじむじしている……そうむじむじと……
 彼はこの衝撃、背徳的な快楽が結局として龍脈的放射を行ってしまう、つまり射精後のRPを齎してしまうことへの恐怖を抱いた。それは刻々として老化が進んでしまうことへの漠然とした恐怖というよりも、更に具体的なものであった。近傍的な恐怖と形容するべきだろう。そこには断続的であり連続的な矛盾的恐怖が根底にあった。そう、「書いた、真夜中だ。雨が窓ガラスを打っている。真夜中ではなかった。雨は降っていなかった」ような……そうした循環しつつも変容する描写に基づく、仄々とした悍ましさ。そこには抒情的な悲しみを宿しているが、悲しみとは畢竟、主体的な微弱的恐怖なのだ。それならば……恐怖は総ての負の感情を支配しているのだろうか?
 彼は気後れした。急に馬鹿らしくなったのだ。創作の営為に於いて一番の障害であった。彼は確かに創作していた。彼は創作を自身の哲学に基づいて実践していたのだ。総ての創作が実践ではないものの、実践は総て創作である。故にあらゆる実践は芸術の発生に繋がるのである。彼の一連の行為は正しく芸術であったが、彼はその芸術に自己の貌を見つけた。醜い自分を……彼は自己の偶像化を恥じ、イコノクラスムに走ろうとした。
 彼は自分の姿を見て、声を漏らして哂笑したのだが、それは己の恥を隠そうとする意志のあらわれであった。一体私は何をしているのだろうか?極めて実存的な問いである。というのも、彼は既に鏡を見ていなかった。内省的な思索に耽ることにより、虚像を自他人として捉えることが出来なくなった。そのために隣人愛も自己愛も消滅した。唯嫌悪感のみがそこに君臨していた。暫くすると、彼は焦り始めた。嫌悪感が焦慮感へと変化した。これは普遍的なものである。初めて万引きをした子供が罪悪感に苛まれ、軈て証拠湮滅を図ろうとするあの気持ちの変わりよう、これを極めて簡素化したものだ。彼はこのみっともない姿を早く終わらせてしまおうと思い始めた。彼は自分の服とソックスの間にてちらつかせる自分の黄色い脚を見て、うんざりした。スカートの裾を選り分けて転び出た薄黒いペニスを確認すると、彼はそれを利き手で握った。そして一心不乱にそれを擦り始めた。
 彼のペニスはこじんまりとした包茎であった。彼はそれを良しとしていた節がある。ドナテッロのダヴィデ像を鑑賞したことがあった。その時彼は、剣を握り、鷹揚とした態度のダヴィデのペニスに見惚れた。彼のペニスは可愛らしく、無垢であった。睾丸の方が大きいそれは誠に子供らしかった。そこに神話的永遠を垣間見たのだ。それは稚児の窄よりも妍麗であった。それこそ端から死を帯びていないこともあるが、それ以上にあのか弱きペニスは両性具有であった。それ故に彼はそれを理想とした。
 今や彼はそのペニスをいきり立たせ、女性的性質を破棄して自慰している。彼は腹部に宿る異質な感じすら忘却していた。今や彼は唯の野蛮な男であった。そう野卑な……一番彼の忌み嫌っていた、あの……倩しさから遠く離れた存在……「野良犬的な滑稽さ」を持った蛮人性を……彼の利き腕には見る見るうちに太い血管が浮き出始め、毛穴が下品に膨らんでいる。額は歪み、その貌はまるで鬼が如く。彼はどこへと行くのだろうか?彼の居場所はどこにもない。感謝すべき悪魔の姿はどこにもない。彼の行方は杳として知れない……だが、そもそも彼は存在していたのだろうか?彼は幻想の住人だったのではないだろうか?
「虚像は私だった……?嗚呼、オディールは貴方ではないのか!?」やっと鏡に目を向けた彼は心の内でそうつぶやいた。声が低いことを忘れたかったからだ。
 彼はその焦りの内に、亀頭を中心に痛痒感を覚え、それが烈しくなってきていることに気づいた。そしてそれを明確に認知した途端に彼は絶頂した。しかしやはり龍脈的放射であった。彼は鏡面に放たれた己の精液を見た。それは白く濁っていた。彼は総てが失敗に終わったことを悟った。
 しっかりとした足取りでRPが訪れる。彼はもう一度、と思ったが、それも無理だろう。射精をしてしまった彼にとって、もう一度オーガズムに挑戦することは苦行であった。彼はこの儀式の失敗が取り返しのつかないものであることに気づいた。何故なら神聖さというものは、二度と起こりえない故に神聖であるから!そう、生が一度きりであるように……
 彼は地面に手をついた。ディルドは抜けて、後ろ側に倒れた。無機質な音の響きをはずみに、彼は大声で泣き始めた。彼は生まれてから幾度も泣いてきた。どうしようもないフォルトゥナに打ちひしがれ、自殺という考えが極めて親しい存在になる度に、彼は涙を零したものだが、今回程辛いと思ったことはなかった。とめどなく流れる絶望の涙がフローリングにぽつぽつと落ちていく。
 彼は嗚咽を漏らした。嫌悪感から変じた焦慮感は再び嫌悪感として姿を見せ、彼を陵虐する。彼はここが地獄なのだろうか、と苦悶した。女装した「男」が精液越しに鏡に映っているのは、れっきとした地獄だ!私は乙女になれなかった……嗚呼、死にたい、死んでしまいたい!汚辱にこれ以上耐え忍ぶことは出来ない……私は決してアンドロギュノスになれなかった……老いはすぐに私の背後に回り、よぼよぼの修道女の処女膜のように死んでいくのだろう……処女性の究極的発現の失敗がスティグマとして彼の胸に蟠っていた。彼はその老いの侵入に体を戦慄かせた。そして生の躊躇いを抱いた。生が心地よさを忘れたように思えたのだ。
 彼は立ち上がった。立ち上がらざるを得なかった。ふらつきながらもしっかりとした足取りでキッチンに向かい、包丁を取り出すと、再び鏡の前に向かい、自分の頸筋を切った。切れた頸動脈からは鮮血色の獣が飛び出し、壁や天井一切に襲い掛かる。彼の活力を最大限に吸い取って。獣は怒りに満ちていた。一切皆苦への抵抗心故だった。総ての不条理に対するやるせなさだった。獣は唸り、周りに牙を剝き、駆けていく……しかし元は彼の苦しみだった。彼がこれまでの人生に於いて感じ取ってきた社会の重みだった。それは彼を押しつぶそうとしたのだ……頼みにするものは何もなかったのに?……孤立無援の絶望程、冷酷なものはない。
 倒れこみ、意識が遠のく中で視界に映ったのは鮮血に塗れた鏡面だった……彼が毎日頻りに自分を見つめ、陶然するためにあったその鏡は、結局として何を映し出したのだろうか?彼を毀すための虚構だったのだろうか?いや……真実に違いない。真実は余りにも残酷だ……彼が夭さを追い求め、捨て逃げたものも現実だった。しかし皮肉にも彼は鏡に憑りつかれた。それが破滅への行進であると知るには遅すぎた……
 だが……彼はそれを、ぼんやりと、眺めた。なぜだろうか?鏡に忌み嫌われた私はどうしてじっとそれを見つめているのだろうか?そこには不可思議な熱中があった。彼は粘ついた頸筋を無視して、そのことだけを一心に考え続けた。
 すると彼は気づいた、鏡の下側で自身の精液と血が混ざりあって桃色になっていることに。気色悪い鮮紅色は生臭い白色と混ざり合い、豊かな桃色を作り出していた。それは止揚的調和であった。淡紅の豊饒さが暗鬱な空間に暖かみを齎し、平和を導き出していた。桃色の液体の向こうで彼がいた。彼は即座にあの手弱女の頬の色をした薔薇の中で絶頂にあるエラガバルスの絵を思い出した。奴隷を殺し、その中で初々しくも華やかに生きる彼の姿を走馬灯の内に見て取れた。彼は莞爾と微笑み、自分がかの幼帝のように一瞬の永遠に生きられるのだろう、と確信した。
 その時、あの龍脈的滞留が彼の体で生じていた。彼は得も言われぬ快楽を夭き身体にて感じ取った。彼の体は平穏と痙攣する。遠のく意識が白くなり、稲妻のような細長いものが蠢く。それは静謐たる絶頂、恒久の誘いだった。
「……私は……今上品かい……?」彼/女は虚像にか細い声で問いかけた。そして返事を待たずにこと切れた。人知れずに……

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