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「サ」ーロインステーキ

 サーロインステーキを「ペッパーランチ」横浜天理ビル店で食べたとき、一回オナニーでイッた後、無理やりしごいてもう一度絶頂したときレベルで幸せだった。これを食った後は別に死んでも良かった。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」、というやつだ。あの時、「サーロインペッパーステーキ」が僕の真理だった。
 あれは大学一年の終わりだ。雪か降るか降らぬか分からない程の寒さ、コートを羽織り、ただただ美味いレストランを求めてぽっちらぽっちら歩いていた。あの時、僕の生きがいは読書と食事で、思う存分腹をすかせた後、ブルーラインで横浜駅へと向かい、安くて落ち着けて沢山食える場所で本を読みながら、ドカ食いするのが日課なようなものだった。
 ある日、中国人留学生で僕と良く食いに行く仲だった趙君(仮名)が「ペッパーランチ」に行こうと誘ってくれた。彼は自国の中華料理に並々ならぬ自信を持っており、それ故に舌の肥え具合を自負していた。彼のそれを同様に信頼していた僕は二つ返事で承諾し、早速行くことにしたが、今まで僕は横浜西口の辺りをうろついていたから、それがどこにあるのか分からなかった。
 彼についていきながら、僕は何処にあるんだ? という思いを抱き、周辺をきょろきょろと見回した。場所が転々としていき、結構新しめな通路を歩けば、途端に昭和感駄々洩れな古臭い通路を通ることもあった。こういう大きな駅の地下空間を廻るのはおつなもんだ。どこか風情が感じられる。僕はワクワクしつつ、彼と適当に学校の課題について話しながら件の場所へ向かった。
 暫くすると天理ビルの中に入った。ここにあるのか。僕は驚いた。第一に天理教がこんな大きなビルを持っていたとは思っていなかった。それに天理教のことを全く知らなかった僕は、つい新興宗教特有のうさん臭さを感じざるを得なかった。そういう訳で幾分か不安になった。
 そう思っていると目的地にたどり着いた。周りにもレストランや定食屋が点在しており、ここはその一角。特に目立ってなく、普通の感じがした。少し安心したが、まだ不安がぬぐえない僕は、彼と恐る恐る店の中に入った。
 店員さんは「いらっしゃいませー」と言ってくれる。見るとあの透明マスクだ! これあんまり使えないんだよな、と彼らを憐れみながら、席に座った。
 メニューを見ると、様々なステーキやハンバーグの写真が掲載されていた。びっくりドンキーみたいな感じで、あのごちゃごちゃしたプレート料理があって楽しい。でも僕はあのとき、白飯が肉汁やソースと混ざるのが嫌いだったので、別々に食べられる「サーロインペッパーステーキ」を選んだ。
 毛沢東が偉大か否かという話をしながら待った。結局偉大だったに落ち着くところで、二人の頼んだ料理が来た!
 僕のサーロインステーキには何やら茶色いバラみたいなのがついていて、これをまんべんなくステーキに塗って食べると、とても美味しい! 肉は柔らかくて、ナイフでチョイっと切ると、すぐ分かれる。食べて食べて口の中がしょっぱくなったときに白米を食べると、これはもう至福や。水を飲み、また肉を食べ、白米も食らう。あの時間が終わってしまうことが惜しいほどだった。趙君のは余り覚えていないけれど、確か肉が僕のより分厚く、それはそれで食べ応えのある料理だった。
 僕達は腹膨れ、満足した後、横浜駅西口の方へと戻り、美味しかったな~と笑って言いながら別れた。もう天理教がどうだとかみたいな下らないことは忘れていた。どこか俗っぽくてしかし優雅な時間を過ごせたなという幸福感があった。
 その後、僕はコロナ禍で実家に戻り、それからは一度も「ペッパーランチ」に行けていない。というか今アメリカにいるから、数年間は帰ってこれない。更に趙君とも連絡が取れなくなった。だからもし日本に帰ってきて「ペッパーランチ」に行っても、もうこの日の思い出は追体験できない。


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