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プリズム劇場#003「絶望を夢に見る人」

こちらはラジオドラマ番組『小島ちひりのプリズム劇場』の作品を文章に起こしたものです。
是非、音声でもお楽しみください。
【stand.fm】 
https://stand.fm/episodes/64fe9ab809e82e735114ead 
【YouTube】
https://youtu.be/3qJRfoO5dt8
 
【その他媒体】
https://lit.link/prismgekijo 


「あっはっは。美人アナウンサーの夫、20代モデルと不倫。笑える。男なんか信じるからそうなるんだよ」

 その日、あたしはいつも通り午後のワイドショーを見ていた。まだ薄ぼんやり肌寒く、薄手のカーディガンを着ていた頃だった。
 ピンポーンと、玄関のチャイムが鳴った。
「はいはい」
私は何か注文でもしていたっけと思いながら、インターホンに出た。
「はい、何でしょう?」
 すると、男の声で
「お忙しいところすみません。本日同じフロアに引っ越して来た松江と申します。ご挨拶させていただけますでしょうか?」
と言われた。
 ああ、そう言えば管理会社からそんな連絡が来ていた。やれやれ面倒なこと、と思いながら、玄関の扉に向かう。無愛想にして面倒な事になるのは流石に嫌だし、ちゃんと笑顔を取り繕って扉を開けた。
 そこには30代くらいの夫婦と、3,4歳位の子供がいた。
「初めまして、松江です。こちらほんの気持ちですが」
と、男が『ご挨拶・松江』と書かれた熨斗に包まれたタオルを差し出して来た。
「まあ、ご丁寧に、どうも」
と務めて感じよく答えた。
 子供は女に抱かれ、怪訝そうな表情でこちらを見ている。無愛想な子供だな、と思いながら
「あらぁ、可愛いお子さんねぇ」
と心にもない事を言った。
 女は嬉しそうに
「ありがとうございます。ほら、裕介、ご挨拶して」
と子供に言ったが、子供は母親の肩に顔を押しつけ、そっぽを向いてしまった。
 男が
「すいません。緊張しているみたいで」
とヘラヘラと笑った。

 それから4ヶ月程経った頃だった。
 買い物から帰って来て、エレベーターを降りると、また松江家に引っ越し業者が来ていた。
 丁度松江夫妻が玄関から出てきたので
「どうしたの? まさか引っ越すの?」
と尋ねると、夫の方が残念そうに
「実は、急に単身赴任する事になっちゃって」と言った。
 私が驚いていると、妻の方が
「すいません、お騒がせしちゃって」
と申し訳なさそうに言った。
 夫の方は
「と言っても、半年位で戻って来る予定ですし、妻と子供はこのまま残りますから、今後ともよろしくお願いします」
と言って屈託なく笑った。
「ママー」
と玄関から子供が出てきた。
「ああ、ごめんごめん」
と言って、妻の方が子供を抱き上げた。
 夫の方が
「ほら、裕介も神田さんにちゃんとよろしくお願いしますってしてごらん」
と言うと、子供は私に向かってペコッと一瞬頭を下げた。
 引っ越して来た時の反応とは大違いだ。妻の方も嬉しそうに笑った。
 まるでフィクションのような家族だと思った。

 その日の夜、見たくもない夢を見た。
 私は20代前半で、最初の支店にいた頃だ。融資課の2歳上の男と付き合っていた。
 男が転勤する事になり、私は仕事を辞め着いて行くつもりだった。
 しかし男は
「向こうでの生活が慣れたら呼ぶから」
と言って一人で行ってしまった。
 私は若かったので、いつ呼ばれてもいいようにと待っていた。
 男が転勤して3ヶ月後、私は驚かせようとこっそり男が働く支店に向かった。そして、終業後出てくる所を待ち伏せしていると、男は女と腕を組みながら出てきた。私は驚きのあまり声を掛けられなかった。
 その一ヶ月後、男は転勤先の女と結婚する事になったと聞いた。女はその土地の資産家の娘だった。男は退職し、妻の実家の会社を継いだそうだ。
 男を信用してはならない。あれから40年間、守り続けてきた私の信条だった。

 ゲリラ豪雨の後、天気が落ち着いたので買い物に出かけた。
 その帰り道に松江家の妻と息子に会った。息子はすっかり私に慣れたようで、変なポーズをしながら挨拶をした。
 私は親切心から妻の方に
「男は浮気するから気をつけた方がいい」
と忠告した。
 すると妻は顔を真っ赤にして
「夫はそんな人じゃありません!」
と言い返して来た。
 あんなに必死に否定するなんて、もう夫の浮気に気がついているのかもしれない。可哀想に。男を信じても幸せになんかなれないのに。
 足早に去った松江家の親子はしばらく行くと、写真を撮り始めた。よく見ると、彼らの向こうに虹が見える。あの写真を夫に送るのだろうか。屈託のない松江家の夫の笑顔が脳裏に浮かぶ。もしかしたら、あの人は浮気しないのかもしれない。
 柄にもなく、そんな風に思った。

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