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裕一はもうすぐ「エール」にたどりつく

先週からサボり気味だった朝ドラ「エール」を5月20日分まで観た。

主人公の古山裕一は、福島の実家を捨てて東京に出て、音と結婚しレコード会社の所属作曲家として働き始めた。

元々彼は西洋音楽から作曲の道へ入ったが、彼が働き始めたのは「赤レーベル」と呼ばれる流行歌のチームであった。

西洋音楽=クラシックへのこだわりを捨てられない裕一は、誰もが親しみ、日常にとけこむような流行音楽をつくることができない。

夫をどうにかはげましたい音は、裕一の小学校の同級生で、音楽学校声楽科のエリート佐藤久志に相談をし、久志の紹介で早稲田大学の応援歌を書くことになる。

が、書けない。

と言うところまで来た。

まあその間に日本作曲界のドン・小山田との開合とかもあるのだけど、とりあえず置いておく。

裕一は流行音楽を見下し、西洋音楽こそが自分の音楽だと信じている。そして、その自分の音楽が認められないことに苦しんでいる。

裕一の駄目なところは、何か苦しんでいることがあると、他人を攻撃してしまうクセがあるところだ。今回の場合は、作曲を依頼してきている応援団の団長に向かって「負けるのは応援歌のせいじゃなくて、実力のせいでしょ」と、応援そのものを否定する発言をしている。

しかし、このドラマのタイトルは「エール」である。そして、古山裕一のモデルである古関裕而は、「六甲おろし」や「栄冠は君に輝く」など、誰かの背中を押すための音楽をつくった作曲家である。

今、裕一は「音楽とはなにか」という軸がなくなってしまっている。だから、つくってもつくっても、あて先人不明になっているのだ。

恐らく裕一は「音楽とはエール=応援である」という答えにたどりつく。自分の音楽とは、聴く人の背中をおすためにあるのだという結論にたどりつく。

物語の核が迫ってきている。

正直、今の裕一は、自分の殻にとじこもってしまって人の話を聞ける状態ではないし、視聴者として観るのが苦しい時期だ。しかし、これを乗り越えたら裕一は音楽の世界に羽根をひろげていくのだろう。観ているこちらも苦しいが、今こそがみどころである。

果たして、今週中に裕一は脱皮できるのだろうか。

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