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「あんたは橋の下で拾ってきたのよ」があながち間違いじゃなかった件


こどもの頃の爛々とした記憶が忘れられなくて、8月に「かめきちのなつやすみ」を取り始めて3年が経った。
なつやすみといえば、必ずついてくるのが、、そう、

「宿題」だ。


7月中に終わらせようと思ってもできないんだよなぁ


独立してはじめてなつやすみを取ったときに、人生で一番の課題をこなした。

それは
"自己分析と言う名の人生のパンドラの箱を開けること"
であった。


私は生まれ育った家庭に対して強いトラウマがある。
乗り越えたくても十数年乗り越えられなかったトラウマだ。

それを、一つ一つ紐解いていける時間が、唯一「かめきちのなつやすみ」の期間である。以下に提出課題を記す。



↓2021年の提出課題 「実は親は未熟だと気づいた日の話」

書いてておんおんと泣いた。書き終わったあとも泣いた。今でも読むとはらはらと涙が落ちる。


↓2022年の提出課題「実のところ私は父親から育児放棄をされてなかった説」
少し成長したように見えたが、まだまだ父親への反骨精神で溢れている締め方をしている。いつ私はこのゲームをクリアできるのか。



そして、この記事

「あんたは橋の下で拾ってきたのよ」があながち間違いじゃなかった件」

を2023年のなつやすみの課題とします。






*************




人生で一度は言われる、「実はあんたは橋の下で拾ってきたのよ」。

コンプライアンスゴリゴリのこの世の中で、今こんなこといったらきっとSNSは大炎上だ。



家庭に恵まれず、小学校に行くにはひと山越えなければ行けないド田舎で
厳しい祖母に育てられ、小さな弟の面倒を見ながら育った私の母親は、朝ごはんに熱い味噌汁をかぶって大火傷をしても「忙しい母の手を煩わせまい」と必死に隠し、そのまま学校に行ったという。

そんな母は東京に出て真面目に銀行に勤め、近くのガソリンスタンドでナンパされた私の父と結婚し、ちゃらんぽらんな父を横目に3人のこどもをほぼ一人で育てあげた。153cm、40kgの小さな小さな私の母。(身長・体重ともに私と+10ちがう)

イケメンで人たらしの父は、いつも女と遊んでいた。
父方の祖父はアルコール依存症で、いつも近所のゴミ捨て場で寝ていた。


毎晩、母は近所のゴミ捨て場に祖父を探しに行き、巨漢の祖父を担いで足を血だらけにして返ってきた。そんな153cmの私の母。


ひどい苦労をしたことだと思う。


だがこの話を聞いてお母さん、ひどい苦労をしたね、というと

「愛ちゃん(私)が居たから頑張れたんだよ、"おかあしゃん"って笑う姿が、可愛かったんだよぅ」

と言う。そんな母。


こんな聖母マリアみたいな母だったが、うっかり彼女のいたずら心がくすぐったんだろう。当時「おかあしゃん」と笑う幼い私に、悪魔の一言

「「実はあんたは橋の下で拾ってきたのよ」」

を言い放った。

なぜ父母はこういういたずらを子に言うのか。

そこから想像力豊かな私は、「私は自分の顔がかわいくなかったから橋の下に捨てられたんだ」と思い悩み、橋の下のダンボールに入れられてスンスンと泣く自分を想像しては涙した。



高校生の頃、世の中の理不尽さにどうしようもなく身の置き場がなくなり、
大いにグレてしまい、それはそれは素っ頓狂な日々を送っていた。

田舎で粛々と育った母は、爆音響かせながらチャラチャラと道を踏み外してテキーラ片手に煙草を吸いながら、人生という坂道を転げ落ちていく私のことを宇宙人を見るような目で見ていた。


いっとき、真面目に「理学療法士になる!」といい安心したのはつかの間、

「シェアハウス住んでくるね!」
「世界一周してくるね!」
「山奥で結婚式するね!」
「離島巡ってくるね!」
「離島オモロイから離島に住んでみるわ!」
「今度は夫を残して一ヶ月間石川県住むね!」
「ごっめーん育てにくかったよね!ADHDだったわ!」
「社会ウザいから独立するね!」
「社長になりましたー!!!!」


と怒涛の勢いで自分が歩んできた人生とはまったく逆方向を突っ走っていき、目の前からどんどんいなくなってしまう娘を見て、



「あ、やっぱ橋の下で拾ってきた子だわ😇」


と、確信したようだ。




橋の下で拾われててもさ、お母さんの帝王切開の傷はあるし、
ずっとやってた交換日記もお手紙もあるし、
喘息でつらいときにずっと抱っこしてくれた記憶も、
お風呂上がりに毎日体に薬を塗ってくれてた記憶も、
「愛ちゃん、大好きだよ」って抱きしめてくれたことも
いつだって素っ頓狂な私をハラハラしながら見てくれてることも
いつだって私を信じてくれてることも、全部全部知ってるよ。

大好きなお母さん。ありがとう。


私はお母さんが思うようないい子ではなかったかもしれない。
私はお父さんに大切にしたいと思われる娘ではなかったかもしれない。

ただ、ただ一つだけ言えるのは、
私は今、「かめきちさん、ありがとう。」と言ってもらえる人になれたってこと。


まだまだ未熟だけど、苦しんで苦しんで夜も眠れない保護者に、
少しだけ救いの手が広げられるようになったこと。


「かめきちさんに、早く出会いたかった。」
こんな心がぎゅうぎゅうする一言をいただけるような人間になれたってこと。

父親が憎かった。母親が辛かった。
家庭へのトラウマはまだまだ消えない。
ただ一つ言えることは、私は未熟ながらも進んでいる。
やるべきことを一つ一つ、やれている。


大事にされたかどうかはもう、どうでもいいよ。
二人が私をこの世に産み落としてくれたから、
だから私の今の人生がここにあります。ありがとう。ありがとう。感謝しきれません。


愛しています。




           2023年8月8日(火) かめきちのなつやすみ






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