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子ども時代に出合う本 #18 5~6歳 心を開放できること

 noteの更新が、しばらく出来ていませんでした。実は3月半ばまで仕事で図書館の児童サービス支援サイトを制作・情報発信をしていました。そこでは、図書館司書の業務に役立つ子どもと本の情報を発信していたのです。そのサイトは、私が退職したことで更新できなくなり7月31日に閉鎖されました。更新できる人材がいなければ仕方がないことです。ただ、子どもの本の情報と共に図書館の業務にすぐ役立つことも多く発信していたので、そのサイトを利用されていた方々から悲鳴に似たメールやメッセージ、DMが私宛に届きました。その職場を去った立場の私にはそのサイト閉鎖に関してはどうすることもできません。でも私のもっている情報やスキルが誰かのお役に立つのであれば、発信することで貢献したいと考え、8月11日に「児童図書館員・はじめの一歩」というブログを立ち上げました。
 8月はそちらに時間を割いていたため、こちらが後回しになってしまいました。でも、時間配分の仕方がつかめてきたので、こちらも続けて更新していきたいと思います。


行きて帰りし物語

 もう1か月半も前になってしまいましたが、前回の記事(#17 5~6歳 体験を促し、知る喜びを味わう)の3つ目に「心を開放することの大切さ」と題して、モーリス・センダックの『かいじゅうたちのいるところ』について書きました。

 この絵本が子どもたちを捉えるのは、「行きて帰りし物語」であるということが言えます。まだ自分の感情をコントロールすることができず、「自己中心性」と「客観的自我」の間を行ったり来たりすると前回お伝えしました。その感情の激しい動きが未知の世界への冒険に誘うのです。
 この絵本では、「いい子にしなさい」とエネルギーを押し込めようとするお母さんへの反抗が、かいじゅうたちのいるところへの冒険へ誘います。異世界では有り余るエネルギーを爆発させ、発散します。でも、冒険の途中でふと自分の帰る場所を思い出すと、そこが恋しくてなるのです。そして、戻ってきたときに受け入れてくれる場所があるということがとても大事なのです。

 「行きて帰りし物語」というと、ファンタジーなど主人公が日常から非日常の世界に旅立ち、試練を乗り越えて成長と遂げて、また日常に帰ってくる物語をイメージすると思いますが、幼い時から絵本の中で小さな冒険をしてもどってくる体験を子どもたちはしているのです。そしてその体験を重ねる中で、「客観的自我」に目覚めていくのです。

 『かいじゅうたちのいるところ』と同様に、すぐれた「行きて帰りし物語」絵本のひとつが、『めっきらもっきら どおんどん』(長谷川摂子/作 降矢なな/画 福音館書店  1990)です。次男が5歳ごろに大好きで何度も何度も読んだ絵本のひとつです。




 遊ぶ友だちを探してひとり神社まで来たのに誰もいない。しゃくにさわったかんたが大声でめちゃくちゃな歌を歌うのです。

 ちんぷく まんぷく
 あっぺらこの きんぴらこ
 じょんがら ぴこたこ
 めっきらもっきら どおんどん

 すると、どどーっと風が吹いてきて、大きな木のうろの中から奇妙な声が聞こえてくるのです。なんだろうと、かんたが木のうろを覗き込んだ途端、異世界に紛れ込み、もんもんびゃっこにしっかかもっかか、おたからまんちんという妖怪たちと出会って遊ぶことに。空をかけめぐるような遊びをして面白がっていたのに、ふとした瞬間に「おかあさーん」と声をあげようとすると、突然異世界から現実世界に戻され、気が付くとお母さんが「ごはんよー」と呼んでいる。そんな不思議な世界に行って帰ってくるお話です。

 非日常の世界へ行って、でも帰る場があるということが大事なんですね。だからこそ、また冒険に出ようと試みる。子どもたちにとって、それは安心安全の場です。それは家庭であり家族なのです。もし家族が安心安全の場でないならば、帰ってくる場所がないということになってしまいます。

 「行きて帰りし物語」を読んであげながら、自分は子どもたちが安心して帰ってくる場になっているかなあと、いつも振り返っていました。

もっと開放していいよ

 9月2日(金)の夜、NHKドキュメンタリー72時間の「「“どろんこパーク” 雨を走る子どもたち」を見ました。そこでは子どもがやりたいと思ったことが出来るのです。雨の中外で遊んでもいいし、泥んこになって遊ぶこともできる。どの子も心から解放され、心を開ききっている姿が眩しいほどでした。



 おとなが決めたルールに従う必要もなく、自分で決めたことをやる。そんな姿に生きるパワーを感じました。

 子どもってなにかに興味を持っている時って目が輝いていて、エネルギッシュです。それをおとなが決める枠に押し込めようとすると、どこかで心が悲鳴をあげてしまう。だからできるだけ子どもたちには心を開いてほしいと思います。

 『かいじゅうたちのいるところ』と同じモーリス・センダックが絵を描いた絵本に『うちがいっけんあったとさ』(ルース・クラウス/文 モーリス・センダック/絵 渡辺茂男/訳 岩波書店 1978)というのがあります。この絵本に出てくる子どもも、なにものにもとらわれず自由奔放に見えます。 


 ちん とん しゃん
 うちがいっけんあったとさ
 りすの うちでは ありません
 ろばの うちでも ありません
 ・・・(中略)・・・
 つるつる てんてん つるてんしゃん
 つるてん つるてん ― ふとんの したに
 おかしの こなを まきちらし ライオンじいさん いびきをかいて
 ―ぐうふう ぐうふう ぐうぐうふうふう― さるもさるもの
 みんな そろって さるおどり ― とんぼがえりで てんじょうに
 あしあと とんとん つけて ― ぼくは ホップ ステップ
 ジャンプで おでこを ごつん ― ふえや たいこで ぴいひゃら
 どんどん ― おおおとこが おさけを こぼしゃ
 こぼれた おさけは ゆかを たらたら
 うさぎは ぼくの とっときの ドアを かじってさ
 みんな こえを かぎりに もっとやれ もっとやれ

最後まで読むと、この男の子が家じゅうをめちゃくちゃにしているんじゃなくて、こんなふうにやれたらなあ~と妄想しているだけだとわかります。それでも誰からも制約されずに思ったことを口にできるだけでも、心が開かれるのです。

 それが創造性を引き出していくのです。子どもの個性を伸ばしたい、その子の良いところを伸ばしてあげたいと、親は願うでしょう。そうであれば小さな枠に閉じ込めずに、もっと開放させてあげてほしいと思います。


創造する力を発揮して

 心が開かれて、とらわれから解放されていると、人はクリエイティブになります。そんな子どもの生き生きとした様子を描いている絵本をもう一冊紹介したいと思います。 


 はたこうしろうさんの『こんにちは!わたしのえ』(ほるぷ出版 2020)です。

  この絵本にかける想いを、7月16日(土)にあったクレヨンハウス子どもの本の学校(オンライン参加)で伺いました。そちらに詳しく書いているのでよかったら読んでみてください。




 この絵本では、真っ白な紙の上に子どもが「おもいきって ぐっちょん!」と筆で絵の具をつけます。そこから思い切って「ずういいいいいい」と筆を動かして線を引いていきます。

 てんてん ぐるぐる 縦横無尽に白い紙の上に、色が重なっていきます。全身を使って描き切ったあとの満足げな顔がとても印象的な絵本です。

 作家のはたさんは、学校の美術教育がお手本のように描く、ある程度型が決まっていてはみ出さないようにお行儀よく描くことを求めているようで、どこまで自由に、自分の心を表現できているのだろう?と疑問に感じているとのこと。その目に見えない縛りから解き放たれて、自分を表現することの大切さを、そしてそれが保障されていることの重要性を述べながら、そのことが民主主義に繋がっていることを強調されました。

 「世界に目をむけると、香港やミャンマーなどで自由に自分を表現できない状況が起きている。日本だって、いつそんなふうに、自由に表現することが制限されるかわからない。」と。

 子どもたちが、自由に、なにものにもとらわれないでいられること。
学年があがるにつれて、そうは言ってばかりいられなくなることもあるのですが、せめて幼児期は枠にはめることなく、心を開いて十分に遊びつくす、そんな時間を保障してあげてほしいと思います。

 それが、そのあとの成長にも力を与えてくれるのです。思春期に道に迷う時に支えてくれるのです。

 次回ももう一度、幼児期に出合ってほしい絵本の紹介をしたいと思います。
(続く)

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