27歳と半年、魂の現在地。
23歳のとき、私の中に「アイドルオタクとしての私」が生まれた。そこから数多の素敵なアイドルに出会い、その後の私の生活はアイドルを推すことで豊かに彩られてきた。そんな日々を過ごす中、先日ついにBTSに出会った。アイドルを推しているとまず間違いなくその名前を目に耳にすることになる。だからそれは当然の、もっと言えば遅すぎる出会いだった。そしてBTSとの出会いは私にとって、他のアイドルとの出会いとは全く異なる意味合いを持つものになりそうだ。
26歳になってすぐ、新卒で入社した会社を辞めた。そもそも、1つの会社に生涯勤めるという想像をしたことがない。面白く生きたい、そのときどきの状況に合わせ自分にとってベストな選択をし続けていきたいという思いがもともと強かった。
それで最初の会社として、あえて自分の性質とは逆の、堅実で安定志向な会社を選んだ。自分と同じような人が集まっている会社で働くよりも、チャレンジングな機会を得やすいだろうと思ったからだ。当時変革を求められていたその会社も、私のアグレッシブなところを見込んで採用してくれたように思う。
そして当初の目論見のとおり、その会社では様々なチャンスを与えてもらい多くのことを学んだ。退職の直接のきっかけになったのは、与えてもらったチャンスのひとつ、米サンフランシスコでの3ヶ月の語学研修だった。多くの起業家が集うその街で、2ヶ月間語学学校で学び、1ヶ月間インターンシップをし、英語と起業家精神を刷り込まれた。特に発想することの面白さを改めて知り、またそこで出会った人々の話を聞く中で、自分も新しいプロダクトを作りたいと思うようになった。会社に所属していてはそこに甘えていつまでも動き始めることができない。そんな思いから、帰国後数ヶ月でその会社を退職するに至った。
まずはフリーランスとして1年働き、色々な人に会おう。その中でアイディアを揉み、仲間を探し、形にしていくように動こう。当初はそう考えていた。
でもそれは実際には想像していたよりも数段難しいことだった。1つ、私はひとりで働こうとするには自分を律することが苦手すぎた。2つ、有難いことに思っていた以上に大きな仕事を得ることができた。3つ、コロナ渦と重なった。忙しいときは眠る暇も食べる暇もなくひたすらに働き、身体も心もすり減らした。それが終わると取り戻すように眠り、その結果何もできなかった自分を責めた。その2つの状態を繰り返すことで日々は過ぎ、どんどん悪循環にはまっていった。見ていた夢は輝きを失った。そしてそれをもう一度輝かせるだけの情熱も自尊心も失った。自分を楽しませる思い付きをするのが得意だったはずなのに、やりたいことが何も思いつかなくなった。
夫の仕事の都合でヨーロッパに住むことが決まったのは同じ頃だった。行かないよりも行ったほうが面白いだろうから、行かないという選択肢は無かった。ただ、同時にどうしようと思った。同行したら良くも悪くも全てがまっさらになる。立場上制約があるものの、ものすごく自由だ。何でも好きなことをして良いという状況に、以前の私であれば心を躍らせたことだろう。しかし、実際には困惑した。何をすればいいんだろう?と困惑したし、何も思いつかない自分にも困惑した。どの道でも好きに選べる、ではなく、道も何もない空間にぽかんと放り込まれるように感じられた。その数年間を空白の年月にするのは絶対に避けたい。どのような場所にいたとしても、そこで心躍らせて自分らしく生きていきたい。でもそのために何をすれば良いかが分からなかった。
確かにアイドルを見るのは好きだ。でも昼も夜もなくアイドルをずっと見続けることは、はたして私のやりたいことだろうか?アイドルを見ること、その本質はとても受動的だ。アイドルを見ていると、毎日何かしらのアップデートがある。それは一見とても刺激的だ。ではアイドルのアップデートを追い続けるだけの日々は?今日も推しのアップデートを追う、明日も推しのアップデートを追う、きっと明後日も。決まったことを繰り返す変化のない日々に刺激はない。もっと能動的な何か。私はアイドルを好きになる前、何を楽しみに、どういう風に過ごしていたんだろう?
「自分探し」なんて言葉を今になって使うとむず痒く感じるけれど、それから改めて自分について考えることが増えた。私は自分にとって新しいものを好む。新しい何かについて考えることや新しいところに飛び込むことが好きだ。それらが放つ煌めきの中毒なのだ。その反面、特に近年はひとつのことに継続して取り組むことが苦手であると感じるようになってしまっていた。すぐに新しいものに飛びついてしまい、何かひとつに集中することができないからだ。どこかに落ち着きたい、自分の居場所は、スタイルは、これだと言えるものを見つけたいという思いが日に日に強くなっていった。
そしてその状態から抜け出せないまましばらく経った27歳と半年の頃、BTSに出会った。
私の新しいもの好きはすべてに通じることで、趣味も例外では無かった。もともと長らくアイドルには興味を持っておらず、自分がアイドルを好きになるとは…と半信半疑であったはずなのに、気づいたらいくつものグループを推すようになっていた。推しの数が増えれば、その全てを追うのは不可能になる。世の中に面白いものはたくさんあるし、Not For Meなものも同様だ。推しだからといってその仕事のすべてを楽しめるわけではないことも分かった。いろいろな沼に片足を突っ込み、自分の欲しいものを欲しいときに見るスタンスになるまで時間はかからなかった。
BTSとの出会いそのものは特別なものではなかった。別のグループを好きで知り合った友人がハマっているということで、色々と話を聞かせてもらう機会があった。その中でメンバーの名前を覚え、画像検索をし、曲を聞いた。かっこいいなと思った。そのまま見ていたら普通にハマったかもしれないし、ハマらなかったかもしれない。とにかく、そこまでは他のアイドルと同じだった。
でもほどなくして、「ひょっとしたらこの人たちとの出会いは、私にとって推し先がひとつ増える以上の意味を持つものかもしれない」と思うようになった。そのきっかけとなったのは、彼らの「Speak Yourself」という言葉だった。
インターネットが広く普及したことで変化したことは枚挙にいとまがないが、そのひとつにはあらゆるものが見えすぎるようになってしまったということがある。たとえばSNSを使えば、会ったこともこれから会うこともない人の意見にも即時に無限にアクセスすることができる。そしてそれに対する同意も即座にカウントされ示される。
そのような変化から生まれた様々な要因が絡み合い、大きな流れを生む。その流れの中で私は、自分自身について話すことから自分を遠ざけるようになっていた。「自分語り乙」という風潮によって自分のことを話すと疎まれるという認識が芽生えた。目に見える同意が簡単に得られる環境になったことで、同意を得たいという思いが強くなった。同意を得られるものに価値がある。自分について話してもそれに興味を持つ人はいない。同意は得られない。だから自分について話すことは価値がない。そんな具合で、私は自分でも気づかないうちに、自分自身について話すことを封印していたのだ。そう今なら分かる。
だから、2018年にRMさんが国連総会で話したスピーチの内容を知って、目が覚めるような思いがした。そうか自分のことを話すことは悪いことなんかじゃないんだと思った。それは当たり前のことのはずなのに、とても新鮮に感じられた。私も自分のことを話そうと思った。まず私のために。私が私を理解するために。そして、私らしく生きていくために。私以外の人がその話を見聞きしても、そこに価値を感じることはないだろう。でもどうしてそれを気にする必要がある?その価値は自分で決めれば良い。自分のことを自分の言葉で表す行為は、私にとって間違いなく意味のあることだ。そうして書き始めたのがこの文章だ。
(思えばインターネット上のみでなく、現実の世界でも自分自身について話す機会を失っていた。これまでのように友人や知人と顔を合わせることがあれば、その中で自分の話をするというのはごく自然なことだった。しかし社会の状況や自分の生活スタイルの変化から、人に会って話をすることも減っていた。)
こうして書いているうちに気づくことがあった。ここ数年の私は、自分と向き合うことをやめてしまっていたのだ。他人の声ばかりを聞くようになった9歳か10歳の頃にRMさんの心臓が止まったと言うのなら、私の心臓が止まったのは23歳以降のいつかだ。自分以外の誰かの人生を見て、自分以外の誰かのことを考え、自分以外の誰かのことについてSNS上で発言し、自分以外の誰かについての自分以外の誰かの意見を見て、自分以外の誰かによる自分への評価を気にした。それをすることで膨大な時間を溶かした。悪いことばかりだったと言うつもりはない。間違いなく楽しい時間だった。でも、そこには自分自身の不在があり、自分と他人との境界線の曖昧さがあり、いつの間にか自分という存在が希薄になっていた。そして、RMさんにとっての"音楽"にあたるものが、私にとっては"文章"だったということ。どうして忘れていたのか分からないけれど、同時にそれを思い出した。
少し前の自分から考えてみれば信じられないことに、BTSを好きになって相対的にアイドルを見る時間が減った。その代わり、本を読んだり文章を書いたりする時間が増えた。そしてそのような時間の使い方をすることによって、この数年間忘れてしまっていた自分自身を取り戻しているという確かな実感がある。
これまで書いてきた通り私は移り気な性格で、これまでも様々な沼に片足ずつ突っ込んできた。だから、BTSに心を奪われているこの時期が今だけではないという保証はない。数ヶ月後のことは分からない。
それでも、今の私にとってBTSがひとつの救いになってくれたことは確かだ。27歳と半年の私に大きな影響を与えた存在であることは、これから先どれだけ月日が流れようとも変わらず残り続けるものだ。
"Find your name, find your voice by speaking yourself."
RMさんのスピーチにあったこの言葉の通り、私はこれから、話すことで、自分の名前と声を見つけたいと思う。
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