『ドント・ルック・アップ』が怖くて泣く

■ Watching:『ドント・ルック・アップ』

地球全体の危機を前に、己の利益や保身に捉われた政治家、企業家、マスメディア。スーパーヒーローになり得る人がいても、それがキャプテン・アメリカじゃなきゃ、アイアンマンじゃなきゃ、みんなを救うなんて夢のまた夢。地球に迫る彗星に「本当に状況分かってる?」と叫びたくなるような人々の行動。だけど現実世界で同じことが起こったとして、それを避けられる可能性があったとして、私たちは本当にそれを避けることができるんだろうか?この映画みたいにならないって言える?と思うと、笑うに笑えなかった。

この作品のそういう風刺的な一面については、怖いながらも面白いなと思って観ていたのだけど。個人的にはストーリーがあまり得意ではなかった。

どこがかというと、結局一番は愛する人たちと過ごすことだというメッセージにストーリーが集約されていたところだと思う。そしてそれに加え、人々が以前執着していたのであろうモノたち(鞄、スマートフォン、その他諸々)が宇宙空間に飛び出していく様は、それらの無価値さを強調しているように感じられてちょっと堪えた。

人生をグラフに喩えるなら、私は右肩上がりの線を描きたいと願う。夢や目標を持って未来に進もうとする自分が好きでもある。

でも、当たり前だけど、人はいつか死ぬし、それがいつになるかは分からない。私はまだまだ生きるつもりだけど、明日生きているかどうかは分からない。

そう考えると、右肩上がりのグラフを描こうとすることになんの意味があるんだろう?今の自分に満足せず上を向こうとすることになんの意味が?もし今彗星が地球に衝突したとしたら、私は悔しくて死んでも死に切れない。そんな風になるぐらいなら、目の前にある幸せを大切にして、日々を淡々と過ごした方がいいんだろうかと思う。

上を向いてしまうというのは実は辛い。ふと我に返るとそう思う。それをもう一度この映画に突きつけられた気がする。

私にとってはそういう意味での『ドント・ルック・アップ』でもあるかな…なんて…

愛に集約される話が嫌いではないし、自分の周りの人のことを大切にしたいとも心から思うんだけどね。


それはそれとして、退廃的なティモシー・シャラメと終末の屋上で安っぽくて汚いベッドに寝転びながら星空を眺めたい。

(2022.01.17)

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