最後の推しかもしれないあなたに出会った日|ミン・ユンギさんへ 敬愛を込めて
季節がひとつ変わろうとしている。あの頃は重たい熱気を孕みこちらをじんわりと押し潰さんばかりだった空気が今では嘘みたいにピンと張っていて、体感としてはふたつほど巡ったような感じがしているけれど。あの日、ミン・ユンギに出会った日から、そろそろ3ヶ月になる。
頭の中にあることをそのまま形にすることは到底できないのに、言葉にしたらそれがあたかも真実であるかのように実際の感覚に取って代わる気がするのは怖い。でも時が経つとともに全てを失う方がもっと怖いから、書き残すことで少しでも安心したい。今ならまだ間に合いそうなので、あの日の日記を書こうと思う。
2021/8/23 (月)
別のアイドルを推す中で知り合った友人と電話をした。その友人がファンになったということで、BTSについて教えてもらうのがメインとなった。私自身はそれ以前はBTSにはほとんど関心を持っていなかった(その友人がとても楽しそうにしているので、どういうものかな?という興味はあった。好きな人の好きなものは知りたいタイプである。)。音楽番組を見てかっこいいなと思ったことはあった(『MIC Drop』を見たらしい)けれどそのときはあまり深入りせず、そうこうするうちにすっかり忘れてしまっていた。
関心を持っていなかった理由として、私でも知っていた『Dynamite』や『Butter』から、「BTSはポップ・ミュージックのグループである」と認識していたことが大きい。分かりやすく棘のある音や言葉を持つ音楽を好み、また恋愛ソングの甘さや切なさにほとんど共感することがない私は、ポップ・ミュージックは自分にとって面白いものではないと思い込んでいた。ポップ・ミュージックにのせてアイドルが歌うのは、おおかた恋愛のことだろうという決めつけもあった。音の印象のみから好みでないと判断し、言葉まで辿り着けていなかったのは本当にもったいないことだったと今は思う。
さて、BTSを全く知らない私がまずやるべきは、名前と顔を一致させることである。友人の助けを借りながら『Dynamite』のMVと公式HPの写真で名前を覚えようとする。…いやムッズ?皆さん静止画と動画でお顔が違う?こんな人出てましたっけ…まず静止画の時点でJINさんとJ-HOPEさんの見分けができません…
もうちょっとゆっくり顔が映るMV無いですか?とリクエストして、『Spring Day』を見せてもらう。『Dynamite』に出てきた人と一緒ですか?ほんとに?絶対初見の人いますよこれ。RMさん、分かります…ハイネックがジョングクさんですか?えぇ…
そして友人の推しのジミンさんのダンスがすごい曲として、『Black Swan』を。ロケーション良!?!ダンス上手!?!美!?!ところでこのシルバーの髪にごついブーツの人、さっきピンクの服着て洗濯物の上に横たわってましたか…?お名前は…?
そのとき何故そう聞いたのかはあまりよく分からない。何がかは分からないけど、でも何かが気になった。
この人のことを好きになる。名前を聞いて検索し、目に飛び込んできた一枚で分かった。自分のファーストインプレッションへの信頼は厚い。たとえば見知らぬ顔ばかりが並ぶ教室でなんとなく目を引かれたとき、たとえば友達のいるクラスに遊びに行ってすれ違ったとき、恋が始まるときはいつだってそれを自覚していたから。
それがソロ活動で出した曲のビジュアルだと教えてもらい、その曲『Daechwita』のMVを見た。再生ボタンを押した瞬間から溢れるこれまでに聞いたことのない音の数々、一度見ただけでは理解しきないストーリー性を持つ映像、古さと新しさが同時に存在する重厚な世界観、そしてその中で訴え、舞い、反発し、抑圧し、これでもかというほどに己を主張する2人のAgust D。どストライクだった。しかもこれが、Agust Dことミン・ユンギさんが自らが生み出した音楽である、と。ああほらやっぱり、やっぱり抗いようがない。この人のことをもっと知りたいと思った。
BTSの今とこれからをこの目で見たい、共に走りたいと思ったタイミングは正確にはこのときではない。だけどもしこのとき『Daechwita』を聞いていなければ、きっとこの出会いもまた、以前そうだったようにいつの間にか手の内から零れ落ちてしまっていただろう。
そのときの電話で友人が「ジミンちゃんが最後の推しかもしれない」と言っていたことをよく覚えている。「最後の推しになるかもだし、もしならなくてほかに推しがまたできたとしても、死ぬ前にまず思い出す推しはジミンちゃんだと思ってます。」と。
羨ましかったのだ。「最後の推し」という言葉で表すことができる出会いをした友人が。祝福の気持ちとともに、自分は一生使えない言葉だろうな、味わえない感情だろうなという思いも浮かんだ。そう思えば思うほどそれが眩しく見えた。
好きなアイドルを次々に増やしながら、私はここまできた。移り気な性格であるし、エンタメは自分を楽しませるためのものだと割り切ってしまっているからなのか、一等好きなアイドルはいても心の底から入れ込むということはできない。そんな私には「最後の推し」と思える人はできっこないだろうなと思っていた。
でもそれから3ヶ月が経った今、ひょっとしたらユンギさんは私にとって「最後の推し」なのかもしれないと思っている。
BTSを好きになる前のしばらくの間、どこか縋るようにアイドルを見ているみたいなところがあった。時間があるときに何をすれば良いか、アイドルを見る以外に何をしたいのか、アイドルを好きになる前はどう過ごしていたのか、そういうことがいつからか分からなくなっていた。
それがBTSを好きになり、少し変わった。外に出て自然の色を眺めるようになった。ベッドに入って眠りにつくまでの間で少しずつ本を読み進めるようになった。走りながら酸素の足りない頭で自分を省みるようになった。毎日日本語以外の何かしらの言語に触れるようになった。知っておかなきゃと思いつつもほったらかしにしていた政治、歴史、国際問題、ジェンダー等々について調べるようになった。自分の意見と呼べるものを以前と比較して明確に持てるようになった。今こうして文章を書いていることもそう。アイドルを見る時間は減ったけれど、このように時間を使うことが楽しくて、楽しいことが嬉しくてたまらない。我ながらなんて大袈裟なと思うけれど、日々を生きる中でそうそう私はこういう人間だったな、と思うことが多くなった。
このまま私はアイドルのオタクではなくなるかもしれない。好きなアイドルをテレビで見たり、CDを買ったり、コンサートや舞台を観に行ったりすることがすぐに無くなるとは思わない。ひとつの趣味としてそれは残ると思う。でもアイドルのオタクというアイデンティティは薄れていく気がする。言葉通りの意味で、ユンギさんは私にとって「最後の推し」かもしれないと思う。
(でもBTSには人生の伴走者になってほしいというか、BTSと伴走したいとは思ってる。そういう思いをアイドルに対して抱いている人間のことを、人はアイドルのオタクと言うのかもしれない。アイドルのファンになってアイドルのオタクじゃなくなるというこの矛盾をうまく説明しきれない。)
その響きに似つかわしくないぐらい、前向きじゃなくて、熱烈じゃなくて、ちょっともの悲しいぐらいなので面白くも思えるけれど。たぶん私にとっての「最後の推し」とはこういうことなんだろうな~と妙な納得感があるし、なんだか満足もしている。
ミン・ユンギさん
私はあなたのことをほとんど何も知りません。それでもあなたに特別な思いを寄せるのは、あなたの生み出すものにどうしようもなく惹かれるからです。そしてあなたが生み出すものにあなたが宿っていると感じているから、だから私はあなたを特別に思っていると迷いなく言うことができます。あなたが何を愛し、何を疎み、どうやってここに辿り着いたのか、私はまだほとんど何も知りません。でもあなたがあなたの音楽にどれほどの情熱を注いでいるか、そのほんの一端ぐらいは私も知っています。
BTSを知りたいと思うきっかけになってくれたこと、延いては私が私を取り戻すきっかけになってくれたこと、本当に感謝しています。
あなたの信じるSUGAで、Agust Dで、そしてミン・ユンギでいてください。あなたのファンである私にとって、それに勝る幸せはありません。そのために障壁になるものが、どうか限りなく少なくありますように。
心からの敬愛をこめて
友人曰く、死ぬ前にまず思い出す推しとはこちらの松田青子さんの文章からとのこと
「Speak yourself」に背中を押されて書いたBTS沼落ちブログ的なもの
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