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三余の読書② セネカ『生の短さについて』岩波文庫

   書名をみて実際にこの本を手にしようとする人は次のうちのいずれかだろう。①悠久の人類の歴史に照らして一人の人間の生きる時間がいかに短く、また生きている間にできることがいかに限られているかを慨嘆する者、②現在関わっている仕事があまりにもくだらないと感じ自分が何のために生きているのだろうと悩む者、③残された年数を現実的に数え始め終活を意識し始めた者。これらのうちのどれかか、或いは複数に該当するだろう。かく言う小生は明らかに③に動機があるが、以前に読んだ時には②だったような気もする。

時間は自分のために

 セネカのいう「生の短さ」を要すれば、人から頼まれたことや、どうでもよい「雑事」に時間をさいたり、世間体を気にした生き方をしているから、自分のしたいことができないと不満を抱き人生が短いと感じている、ということに尽きる。そういう人の人生は「たとえ千年以上続いたとしても、きわめて短いものに縮められる」と辛らつだ(p.20)。「どんな時間でも自分自身の必要のためにだけ用い」、「毎日毎日を最後の1日と決め」れば「明日を望むことも、恐れることもない」という(p.24)。つまり、「雑事」を排して自分の思い定めた「したいこと」「すべきこと」に専心することが肝要だという。さらにいえば、時間は自分のために使え、というのがセネカのメッセージだ。

セネカ

 ではそうした「雑事」を排してまで追求する「すべきこと」とは何か。セネカに言わせれば名誉、財産、美食、快楽などに惑わされず、「徳の愛好と実践」にもとづく「深い安寧の生活」の追求だという(pp.54‐55)。さすが自己を律して安易な快楽追求を戒める「ストア学派」に属する論者である。なかなかに厳しい見立てだ。「徳」なるものを考え、それを実生活に生かすことを求める。ただ、セネカは学者として思索の世界のみに生きた人間ではなく、むしろ元老院議員、執政官などローマ帝政黎明期の重職につき、政争の真っただ中に巻き込まれる生ぐさい人生を送った実務家だった。のちに皇帝となるネロの養育係も勤めた。こうした公務に忙殺されていたからこそ、下らぬ「雑事」から逃れ、徳の実践を積みたいと心底考えたにちがいない。そうしてみると、セネカがこんなタイトルの文章を書いた動機は、冒頭にあげた②か③あたりで、結局凡人たる小生とさほど変わるところがない気もする。

ストア学派の矜持

 しかしセネカは政治的嫌疑をかけられ自分の育てたネロ皇帝に自殺を命ぜられ、それを静かに受け入れて命を絶っている。飲まされた毒が効かず死にきれないので、自ら足の動脈を切り最期を遂げたともいう。ストア学派の考えの基本には、物事を自然にゆだね、自己の権能の及ぶものに関しては意を尽くして努力をするが、自己の管理を超えたもの、つまり努力しても変えられないことに関しては心を砕かずに受け入れる、というのがある。セネカも「賢者には万事が望みどおりになるのではなく、考え通りになるのである」(『心の平静について』p.105)という。つまり多くのありうることを想定し、避けられることは避けるけれども、避けられないものはそれが災厄であっても受け入れなければならないという悟りである。これはなかなかに難しい。セネカは実際その域にまで達していたがゆえに自己の最期を受け入れ得たのだろう。さらに彼は「最良の精神が自らの道を歩み終わり、自らをその限界で囲み終わったときに、最高の善はまったく完成されたのであって、それ以上に望むことはない」(『幸福な人生について』p.138)とまで述べている。彼の徳の実践、精神修養、言行一致は見事なものである。

セネカの最期

 さてセネカはセネカとして、自分にとって万難を排して「すべきこと」「したいこと」とは何だろうか。仕事が片付いたら手を付けようとか、退職をしたら新しいことを始めようなどと言っている者は、セネカに言わせれば結局のところ何もせずに人生の短さを嘆きながら無為に時を過ごす人間だということになる。いま課せられている仕事やしがらみを振り切ってまで「したいこと」…。哀しいかな、浮かばない。より正確に言えば、沢山ありすぎてこれだというもの一つに絞れない。つまりまだまだ煩悩にとらわれ悟りがひらけず自分のやりたいことさえ明確に定めきれないでいる。情けなや。
 そもそも「三余の読書」と銘打って第1報を公表してから、この第2報を著すまで三月が経った。読書は冬(農閑期)、夜、雨天の「三余」、暇な時に適しているというものの、小生はこんな短い文章も書けぬほど「雑事」に追われた気になって余裕を失っていたことになる。
 セネカの人生に思いを馳せつつ、ぐさりぐさりと胸を突くような厳しい言葉を投げかけるこの『生の短さについて』を座右に置きながら、今一度、自分の「人生の短さ」について猛省してみようと思う。  (2023年12月)                          








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