超個人的なブス論について

毎週金曜のヨガの時、鏡に映る自分の顔を見て「ああ、ブスだなぁ〜」とつくづく思う。もう2年も通うのに体が全く柔らかくならず、毎回「ヒィィィ!グギギィィィィ!」とブサイクな叫び声を出しながらなので、普段の3割増しでブスだ。

だからといって人が顔を背ける程のブスではない。でも美人かブスかで分けるならば、満場一致のブス。野鳥の会会員が「美」と「ブ」のプラカード数えたら「ブ」が勝利。会議にかけられたら異論無し円満で決。まあ中途半端なブスというのがしっくりくる。でも人生においてはやはりハナからオマケです。お星様の引き立て役Bです。


46年プロのブスをやってると大体のことには慣れてくる。街中で突然男性に道を聞かれても「これはナンパではなくは本当に道がわからないのだ」と知っているので冷静に丁寧に教えて差し上げる。または道案内をしてそのまま勧誘されて高額な何かしらを契約させられる場合もあるですわかります知ってますアタシ!!!!



私みたいなレベルのブスはなんかとにかく話しかけられる率が高い。バス停で居合わせた初見のジイバアとは5分で親戚付き合いレベルだ。こないだはショッピングモールを歩いていたら「髪染め専門のお店があると聞いたのですがどこですか?」と聞かれて案内までしてあげた。無害なブスは歩いてるだけで社会に搾取される(大げさ

ところで前に、お隣の奥さんと「ブスは性格も悪い」について話し合ったことがある。なぜ隣の奥さんかと言うと、私の家の周りは生活道路で狭い道が多く、車のすれ違いにどちらかが避けないと通れない事が多いのだけど、こちらが避けた場合に何も言わず「スンッ…」と通っていく奴は大体ブス!という話が盛り上がった流れからである。



生き方は顔に出ると言うけれど、46年生きて来た中での統計的に、美人は性格もいい人が多く、ブスはレジで金を投げてくる率高し。それはなぜだ?と突き詰めていったところ「ブスはブスゆえに優しくされないから、優しさを知らないので、他人にも優しくできない」と言う結果に至った。



おそらくブスは3歳くらいまでの「子どもはみんな可愛い」というゴールデンタイムを過ぎるとだんだん対応に差をつけられるようになる。顔の良さと言うのは生まれつきシード権を得ているようなもので、人生トータルで優しさを受ける絶対量が違う。かけられる言葉の数も質も違う。

一方ブスのステージは学校でもバイト先でも職場でも何ならママ友間でも差別化が生まれる。美人とブスでは生涯で受け取る優しさの絶対量に圧倒的な差が生まれるのだ。「やさ…しさ…?」と戸惑うレベルで優しくされる経験値の違いがあるのだ。

ブスは優しくされないから優しさを知らず、だから他人に優しくできない。自分の中にないものは与えられないのである。そして行き着くところ、優しくされないから自分が強くなるしかないのである。そして狭い道ですれ違っても強気でGO、スンッ…と通り過ぎていくメンタルを身につける。ああ、なんてこったい。



逆に私みたいにブスは隅っこ歩きます的な種族も居る。差別化により身の程を知ったブスである。狭い道は直ちに避ける派。もし避けてもらったらクラクションにお辞儀までして無駄に愛想良くしすぎてハンドル操作を誤りそうになる。

自然体で生きていきたいのに自己評価が低いブスもこれまたやっかい。プロ引退はいつのことやら。さっさとマイクを置いて引退したいが、週1で突きつけられる鏡の前の現実に逃げ道はないのである。


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