レミゼラブルがコロナ禍と被りすぎて考えさせられた
最近中田敦彦さんのYouTube大学にはまっています。同じくハマっているパーソナルトレーナーから「中田敦彦のレ・ミゼラブル解釈がすごく面白い」と勧められ見てみたら、あまりにも引き込まれる解釈にどうしても見たくなってしまい次の日寝不足になるのも厭わず約3時間ぶっ通しで見ました!結果、次の日寝不足になった上に泣き通しで顔がパンパンになりましたがそれでも勢いで見てよかった!人生の中で見ておいてよかった映画マイリストに入るほど素晴らしい映像に音楽、考えさせられるストーリーでした。そして何より登場人物達のそれぞれの正義がどれも理解出来るだけに、その正義がぶつかる度見ていて胸が何度もギュッとなりました。そんな特に胸が締め付けられたキャラ達について私なりの感想を述べてみようと思います。あらすじやキャラの細かいことは是非中田敦彦さんのYouTube大学を見てください!
同じ母親としてファンティーヌが不憫すぎる!
自分が母親という立場上、やはり1番思い入れが強いのがファンティーヌです。ファンティーヌは主人公のジャン・ヴァルジャンの工場で働く女性ですが、現代でいうシングルマザーです。今でこそシングルマザーは当たり前と言うと語弊がありますが昔ほど差別される対象ではなくなりつつあると思いますが、この時代のシングルマザーといえば差別され蔑まれる対象でした。工場長に目をつけられていたファンティーヌは美人が故に同僚から妬まれシングルマザーであることをチクられ、工場長からはあばずれと嘘つきはいらないとクビにされてしまいます。この後の転落っぷりがもう見ていられない。宿屋に一人娘を預けているためにその預かり代(しかもボッタクリ金額)を稼ぐために髪を売り、歯を抜かれ、身を売り最後は病気になって娘のコゼットにも会えずに死別してしまうんです。ただ娘との生活の為に一生懸命に生きようとしている一人の人間にこんなに不幸が重なるなんてと涙が止まりませんでした。
同じ女としてエポニーヌが尊すぎる!
コゼットの彼氏であるマリウスを好きになってしまったエポニーヌ。革命運動に参加中のマリウスはコゼットへの手紙をエポニーヌに託します。エポニーヌは自分が渡しさえしなければ…と薄暗い誘惑にかられますが、愛しいマリウスの為と最後は手紙を渡します。さらにマリウスが撃たれるのを庇い被弾してしまいます。マリウスに抱かれながら「貴方の心にいるのが私じゃなくても、今貴方の瞳に映るのは私だけなのが嬉しい(うろ覚え)」と言い亡くなります。私はこんなに綺麗な片想いをしたことはありませんが、相手の心に自分がいなくても一時でも自分に意識が向いてくれることの喜びは少しだけ過去の恋愛のことが重なり胸が締め付けられました。
同じ人間としてジャン・ヴァルジャンが聖人すぎる!
母親として女性としてファンティーヌとエポニーヌのことを先に書きましたが、やはりこの人を語らずにはいられません!まずは飢えに苦しむ妹の子供達の為にパンを盗んで禁固5年、投獄されたままでは子供達が飢えて死んでしまうと脱獄を試みるもその度に捕まり最終的には19年も投獄されていました。そこからミリエル司教に「銀の燭台」を貰うことにより彼の教えである「正しい人であろう」に忠実に生きようと生まれ変わり「マドレーヌ」となります。その後産業で成功したジャンは工場も経営し多くの雇用を生み出し街の発展に尽力し市長になります。もうこの時点で凄すぎます。私なら懐が豊かになったらちょっと欲しいものをホイホイ買いあさったり、自分へのご褒美が過多になると思います(笑)。ところが、この街に投獄時代の看守が警察として赴任してきたところからマドレーヌは正体を疑われ、それがきっかけで別人がジャン・ヴァルジャンとして死刑になろうとしていることを知ります。しかも!ファンティーヌにコゼットを迎えに行くと言った直後に!コゼットを迎えにいけばその間に別人ジャンが死刑になってしまうのですが、ジャンとしては凄くラッキーな展開です。別人が死刑になることでこの先自分の身は安泰になるのですから。でもここでジャンの頭によぎったのは「正しい人であれ」という教え。彼が取った行動は刑務所へ走り自分がジャン・ヴァルジャンだと名乗ることでした。
同じ親としてジャン・ヴァルジャンがマッチョ過ぎる!
市長の座を捨てコゼットを連れて逃げたジャンは場所を変え、とある街で静かに慎ましく暮らしていました。そこでコゼットは革命運動に加わるマリウスと恋仲になります。そしていよいよ激化した革命運動でマリウスは撃たれてしまいます。コゼットの愛する人を守ろうと革命運動に潜り込んでいたジャンはマリウスを死なせるわけにはいかないと自分も満身創痍な状態でありながら担いで下水道を抜けて病院に行くというとんでもないスパルタンレースを行います。この時代、そしてジャンの性格上普段から慎ましい食事で栄養も休息も十分に取れていないであろう中、汚水の中を推定70~75kgの男性を担ぐことは並大抵の筋肉や精神力ではなし得ないはずです。それでも愛する娘の幸せの為に持てる力を振り絞る姿にまた号泣しました。私も将来娘の愛する男が危機的状態に陥ったら担いで助け出せる位筋トレを精進しようと心に誓ったシーンでした。そして、最後は自分が一緒にいてはコゼットを幸せに出来ないと考えたジャンは回復したマリウスに自分の正体を明かし一人身を引くというメンタルまでマッチョなところを見せたのでした。
レミゼラブルと重なる現在の日本
中田敦彦さんも動画で解説されているのですが、レミゼラブルの時代背景は流行病とフランス革命による貧富の差が激しくなっていて、いまの日本も格差社会と言われコロナ渦の時代です。不謹慎ですが私だって夫がコロナで倒れたら、子供1人抱え身一つで就活をするとなると相当苦労するでしょう。何かでシングルマザーの年収は200万をなかなか越えられないという記事を読みましたが、それでは日々の生活で手一杯になってしまい常に不安を抱え心に余裕がなくなるのは当然です。他にもコロナで仕事を無くしたり、先行きが見えない状態に国民皆がどこかで不安になり余裕がなくなれば思いやりを持つことも難しくなると思います。
貧困は心の余裕を失わせる
映画を見ていて度々思ったのが貧困っていけないという思いです。貧困に陥るとまず生きることに精一杯で心の余裕が無くなります。自分が明日をどうしのぐかで精一杯いの時に他人に優しくする余裕はないし、そんな自分の現状が惨めで心が傷ついきます。そしてその傷を癒す術すらありません。毎日国産の牛肉を食べて良いお酒を飲んで、温泉入って、エステをしたいなんて贅沢は言いませんが(出来るならやりたいですけど!)、明日や月末の衣食住の心配をしなくて済むような環境は万人の権利であって欲しいとこの映画を見て思いました。
これから私はどう生きるのか?
いまの私は幸い明日の衣食住を心配しなくて済むほどには恵まれています。ただそれがいつまで続くかは分からないし、どんな時代になるかも分からない今、子供と笑って過ごせる日々を守るためにも会社に頼らなくとも稼げる力、自分で決断し実行、責任を取れる生き方をしたいとおもいました。それが具体的にはどんな仕事をして、どこに住んで、どんな生活をするかはまだ形になっていませんが目の前のことを1つひとつこなしながらチャンスが巡ってきた時は逃さないように日々アンテナを張っていこうと思います。
最後に
私の場合おそらくレ・ミゼラブルを20代や産前の自分のことしか考えていない時に見ても「あ〜映像すごかったな、ヒュー・ジャックマンかっこよかったな〜」で終わっていたと思います。産後、そしてコロナ渦、母親として一人の人間としてこの先どう生きるかを考えている時だからこそどハマりしました。レミゼラブルを見ることと銀の燭台は私にとって同じです。また何か行き詰まったり、最近弛んでるなと感じた時に見返して「自分は正しいことしているか?」と自分自身に問いかけようと思います。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?