なにが理想的だったの?ーー7

さて私は自分にできることとして、キャンプヒルでの仕事は家事をしていた。それも12人くらいの家で毎日の家事として、掃除、洗濯、昼食作りをする。これを知的障がいを持った人の仕事場として行うので、ある程度は定期的に計画をしたり準備をしたりする。

彼らは日常的に薬を飲んでいる人もいるので、その管理もスタッフの仕事で、これは保健所の人が年に一度検査にもくる薬箱に入って鍵がかかっている。

月に一度、各ハウスから一人スタッフが集まってのミーティングがあり、いろいろな打ち合わせをする。問題点を話すこともあれば、季節のお祭りについての打ち合わせもあり。

キャンプヒル内のケアハウスに住んでいた時は、毎日看護師さんが全員の健康チェックに来ていた。

これらの何が素晴らしかったのか。

自分が困ったことをすぐに誰かに相談できることだった。

例えばイレギュラーなこと、自分が歯医者に行くようなことも含めて、誰かに相談して仕事を代わってもらったり手伝ってもらうことがすぐにできた。

看護師がいつもいるので、本来は障がいを持つ人たちのためにいるのだけど、自分や自分の子どものちょっとしたことを相談することもできた。

最初のころ、うちの子たちが英語がまだできなかったころ、他のハウスにいたサバティカルで一年休んでキャンプヒルに住んでいた元教員という人に、周囲に一度の英語の個人授業をお願いしていた。基本無料とのことだったけど、たぶん最後にギフトカードを渡したんじゃなかったかな。

そして私がしていなかったことは。

例えば健康保険関係の手続きなどは、事務所の人がすべてしてくれていた。アメリカは皆保険がなく高額なことで有名だが、その中でもNPOの保険会社というのがあって、多少は良心的な値段だったらしい。そういう手続きも私ができるはずもなく、でもすべて事務所の人がしてくれる。私や子ども達の保険について心配する必要がなかった。

私がしなかったこと。

お金の心配も私の仕事ではなかった。そういうことは理事会が心配することで、一応予算の説明などもあったけど、よく分からないままに全体としてはなんとかなっていたようだった。

日本生活と比べて私がしなかったこと。

近所の人に気を遣うことをしなくてよかった。子どもがうるさくすることを、周囲の家にうるさいのではと心配する必要がなかった。隣の家までは数十メートル離れているから。

全体として、適度に客観的な目が入るので、苦手な掃除なども一応することができた。書類仕事、大きなお金の計算なども、そこを心配する人がいた。自分が困ったときにいつでも相談することができた。日常的に、いつも雑談をする人が誰かしらいた。自分ができないことについて、無理をする必要がなかった。

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