私の死生観 1
死生観の始まり
40歳代で終活を考え実行しようと思い
資格を習得し日々最後の時に向けて今を生きる私
この年齢で終活を考えるなんて、と思う人はたくさんいるだろう
まだまだ死ぬなんて早い
健康なのにそんなことを考えるなんて早く死にたいのか?
本当に死が近くないから簡単に言える(考える)のでは・・・
いろいろな意見が出てくるかもしれない
でも自己紹介でも言っているが
必ず起こること
いつかはわからないが
絶対に必ず起こること、なのだ
その絶対起こること
死が私にはあるということを
理解し受け入れ生きていくことが
私のしたいことなのである
死を迎える直前まで私は私でありたい
できる限り自分でご飯を食べ歩くことができ
自分の思いを伝えることが私の理想の最後なのだ
そして、
なるべく後悔したくない
あの時ああしていればよかった
これを言っておけばよかった
そんな後悔をせずに
この人生楽しかったな、幸せだな、と
感謝の気持ちで死を迎えたい
そのための今を生きる
そのための終活、である
前置きはここまでにして
死生観について話していこうか
今日は私の死生観の始まりについて。。。
幼少期の体験
私は父、母、私を含めた4人きょうだいの6人が基本家族構成
現在は母が他界、兄弟の2人が結婚をしている
私が保育園に通園しているときの話にさかのぼる
当時は 1個下に弟がいる4人家族、団地で生活していた
私は気管支が弱いこどもだったため
よく病院に行って吸入を受けていた
そんなとき私は肺炎を患い入院する
当時の治療がどのようであったのかは覚えてはいないが、数日ベッド上生活を送っていたおかげでいざ歩こうとすると、足に力が入らずこどもながらに驚き、このまま歩くことができないのではないか、そんな恐怖をおぼえた
入院中は弟は祖父母の家に、今では完全看護が多くこどもを病院に預けることが多くなったが、その当時は母は私に付き添い病院に寝泊まりしていた
時々本当に時々父が見舞いにきた
覚えているのは 1回くらいだから本当に時々だったのだろう
だが様子がおかしかった
父と母の様子が、だ
後から聞いた話によると
私が入院する前から父は浮気をしていたようだ
私の入院により父は自由を手に入れていた
見舞いに来た時の父と母のぎこちなさ
浮気は隠してするものではないのだろうか
大人になった私はそう思う
1回くらいちょっと遊んだくらい、と思う
(これは個人的な考えだということをご了承ください)
だが父はまだ若かった
そして嘘がつけない人間だった
家族がいようと好きになったものは好きなのだろう
妻にすぐにばれる嘘をつき浮気をしていたようだ
母は父のことがすごく好きだったから
そんな嘘はすぐにばれて関係がぎくしゃくしていた
そんな中の私の入院だった
4歳だった
4歳だと何もわからないと思うだろうか
いや4歳でも機微に触れその変化に気づくことはできる
両親がそんな微妙な状況だと察知した私は、それを気づかせないために父が見舞いに来るときは本当に来てくれたありがとうと喜びを演じていた
心の中では母が悲しい顔をするからできれば来ないでほしいと思っていた
肺炎が完治し日常生活に戻った
退院してからどのくらい経ったかはわからない真冬の夜、事件は起こった
母は弟と私を連れてよく行くラーメン屋に連れて行った
本当においしくて大好きな醤油ラーメン
寒い冬にはさらにおいしく感じた
ラーメンを食べ終わって
私たち3人は真冬の暗くなった空の下歩いた
その記憶は脳裏に数枚の写真のように残っている
たくさん歩いた
港が左手に見える坂を下る途中
私は疲れと寒さで「もう歩きたくない、行きたくない」と言った
本当に疲れていたし寒かったけど、本当は怖かった
これから何が起こるのか
母は何をしようとしているのか
怖かった
母は言った
「歩かないならここにいなさい」
真冬の寒空の下4歳のこどもが 1人取り残される
それもまた怖かった
泣きながら母と弟に着いていった
雪が強く降り始め視界が悪くなり母は鉄橋の下に入った
鉄橋と言っても電車が1台通るだけの細いもので雪風をしのげるものではなく、私は怖くて帰りたくてしょうがなかった
母に「帰ろう」と何度も泣きながら頼んだ
そんな私を振り払い母が弟を連れて歩き出そうとした瞬間
電車が真上を通り鉄橋に積もっていた雪が私たちに降りかかった
どどどどどっ
電車が近づいていたことに気づかなかった
帰りたい一心だった
母は先を急ごうと必死だった
突然の大きな音と雪
その時のことだけは3秒程度の動画のように私の記憶に残っている
重たい雪が私に降り注いだ
私は一瞬 死んでしまう と思った
そして 死にたくない と思った
母は
港に身投げをするつもりだったのだ
父の浮気に耐え切れず
自殺を考えた
でもこどもを残して死ねないと思い
私たちを連れて港にいったのだ
鉄橋の出来事があり、母の心が一変する
母は思いとどまった
「帰ろう」
でも家には帰れず
夜遅くまでやっていたボーリング場に着いて
公衆電話で親戚に連絡し私たちは保護された
4歳
なにもわからないと思うだろうか
いや4歳でもちゃんとわかるのだ
こわいことを
死というものを
その後
いつからかはわからないが悪夢を見るようになった
赤や青や黄色の四角い箱のようなものが私の周りを取り囲む
なぜか色とりどりの箱のようななにかなのだが
周りは真っ暗でその四角いものだけが明るい
それが一斉に私を押しつぶすかのように迫ってくる
迫りくるときその四角い物体は真っ黒になる
私は苦しくて苦しくて、そして目が覚める
頻繁にみる悪夢だった
たぶん小学校にあがる前後までみていた気がする
でもその夢については誰にも言っていない
どう説明すればいいのかわからなかったからだ
ただきっと死の恐怖を経験してそれが夢にでてくるようになった、
一種のトラウマなのだろう
そんな私にとっての事件が
私の死生観の始まりとなった
追記
父の浮気のその後だが
その事件の後も浮気は続いていたらしい
だが母は強くなった
あの真冬の鉄橋の出来事により
私は死の恐怖を知り、
母は生きる強さを手に入れた
母は家族を守るためにと
浮気相手のいる場所を突き止め
寒空の下髪を鷲掴みにして屋外に引きずりだし
「私の夫と別れろ」と喚き散らしたらしい
相手も既婚者だったようだ
その一件で父の浮気生活は終了した
この話は私がもっともっと成長した大人になった時に
母が笑いながら話していた
どこまでが本当かはわからないが
こどもを道連れに死のうとした母
浮気相手に直談判した母
恐ろしい
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