死生観 2
私は看護師をしている
看護師は自分なりの死生観を持っていた方がいいと思っている
生き死にの現場にいるのだからその方がいい
でもその自分の考えを強制するつもりはない
自分はこうだけど他にはこんな考えがある
自分の考えと違うと首をかしげたくなることもあるけれど
その不思議な世界の中で私たちは生きて学ぶのだ
前回は幼少期の体験による死というものの存在の自覚について話した
そこで受けたトラウマ
トラウマに小さいも大きいもなく
人それぞれに感じた恐怖から起こるもの
そしてそのトラウマを一生抱える人もいれば
消えてなくなる人もいる
私はトラウマを克服した方の人間だ
今は悪夢にうなされることはない
むしろ必ず私は死ぬ存在と認識して恐怖は小さくなっている
だが死を恐れることはあった
死にたくない
そう思う日々はあった
そう思うきっかけになったことを今日は話そう
人は死んだらどうなるかという恐怖
身近な人の死
それは本当に本当に悲しいことだ
今日までここに存在した人がいなくなる現実
途方にくれる
身の置き所のない悲しみがある
そんな感情を知らず
死というものを体験したことがないこどものころ
人の死を目近に見たのは小学生のころだ
何歳かは覚えていない
父方の曽祖父が亡くなった
長く胃がんで病院に入院していたが
ほとんど会うこともなく
いよいよ亡くなるというときに親族が病院に集まるということで付いて行ったのを覚えている
大人がたくさんベッドの周りを囲む
その大人たちの隙間から曽祖父の顔にかけられた白い布をみた
白い布を取ると無表情で口がすこし開いた状態の顔があった
その記憶だけ
曽祖父との思い出が1つもない
動いている姿、声、なにも覚えていない
ただその亡くなった顔だけ1枚の写真のように残っている
なにも感情がなかった
人が亡くなるとお葬式を行う
通夜、告別式
こどもの私にとってすべてが初めての体験だ
どんなことをするのか知らない
これから何が起こるのか想像すらできない
誰も教えてくれない
この曽祖父のお葬式で私はさらにトラウマ体験をする
人は死んだらどうなるのか
今ならわかる
当たり前だ
そういうことに関わっている
何がトラウマになったか
人は死ぬとそのままの状態で置いておくことはできない
日本では火葬が主に行われている
こどもの私は知らなかった
死んだら人が焼かれるということを
火葬場に連れていかれ
曽祖父が大きな箱に入っていて
みんなが涙を流しお坊さんがお経を唱える
親戚の中には大きな声で泣いている人もいた
その箱は暗くて狭い小さな部屋に入っていった
数時間後だ
連れられて行った先に
よくわからない光景があった
白い、ところどころ黒い物体があった
焼けた臭いが心地悪く
何が起こっているのかわからなくなった
恐怖
さっきまで人の形をしていたのに部屋に入って出てきたらこんなことになるってなんだ?なに?これはなに?人って焼かれるの?熱いでしょ?
いやだ
いやだ
いやだ
こわい
こわい
こわい
私はお骨拾いの場にいられなかった
その姿を見ることができなかった
火葬場の入り口ですべてが終わるまで一人で立ちつくしていた
小さなこどもに突拍子もなく
日本では死んだら火葬されてお墓に入るのよ
なんて教える状況はないだろう
できればお葬式が始まるときに教えてほしかった
そして骨になるということを前もって伝えてほしかった
こどもだからこそ知っておかなければならないことがある
こともだから教えなくてもいいではないのだ
私は4歳の時にあの体験をして
父母の細かな関係の変化も察知していたほど
とても繊細なこどもだった
私もいつかは死んで
焼かれる
死んだことよりも焼かれることが怖いと思った
死んだらこの私はどうなるのか
魂というものはどこにあるのか
小さい私は死んでも私は体の中にいて
熱いと感じると思ってしまった
死んだら焼かれる
怖い
その後
夜眠るとき
今私は生きている
存在している
息をしている
眠ろうとしている
でもいつか私は死んでしまう焼かれてしまうじゃあ今の私はなに?今ここにいるけどいつかはいなくなるどういうこと?
そんな考えが頭いっぱいになって眠れないことが多くなった
小学校中学年以降は
以前にみていた明るいたくさんの箱が迫ってくる悪夢はなくなっていたけれど、悪夢で飛び起きることがよくあった
その後たくさんのお葬式を経験し
お骨拾いもできるようになり
母が亡くなった時は気丈にふるまい見送ることができた
ただ
眠る前のあの何とも言えない死の恐怖
死ということ自体への恐怖ではなく
いまここにいる自分、いつかはいなくなる自分を考えると虚無感なのかただの恐怖なのか
いたたまれなくなる感情がバーっと現れる
それは数年前まであった
今回は死生観というより
ただ死というものへの恐怖の経験だったかもしれない
だけど
そういう体験も死生観には大切だ
そして死の教育は早いうちからしてもよいのではないか
私はそう思う
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