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ながめくらしつ『ライフワーク』

ながめくらしつ 目黒陽介独演 『ライフワーク』
現代座会館 2022.6.24-26

ながめくらしつ目黒陽介独演となった今作『ライフワーク』目黒陽介とミュージシャン坂本弘道、イーガルが2公演ずつ。金曜と土曜日の2回で計3回(公演は日曜までの3日間4公演)坂本さん2回イーガルさん1回を拝見。
全体として、目黒陽介がジャグラー目黒陽介として舞台にたっていた。それに尽きる。問いかけるでもなく媚びるでもなく、愚直で重たい70分は苦しいほど凝縮され濃度のあるジャグリングだった。トス、ロール、コンタクト、リング。モノを替え身体を自在に操作し放たれる道具。壁で重心の制限を持ちながらそのからだは抗い、フロアに委ねる。何度となく、ずっと見ていられるしもっと見ていたいし足りない足りないと思っていた目黒さんのジャグリングは、集中力を考えると今回の70分でギリギリだと思った。坂本さんは2人で作り出されるステージ、イーガルさんは下支えに徹したきれいなステージ、作り込まれすぎない動線、誤魔化しや嘘がないジャグリング。どれも贅沢な時間だった。

とんでもない時間を経て今、ジャグリングで、モノと身体と自分を舞台に独りのせ、公演をする価値を改めて考える。私は、楽しいとか面白いではない、モノが描く事象も自分の内面をえぐられるような感情も問さえも、自分にはどう見えてどう感じるのか、きれいに差し出されるもの以外に価値がある気がして、作品を見ては自分の中に何かをもらって消化しきれずまた見るということを繰り返してきた。目黒さんはそこに何があるかは人それぞれでそれでいい、むしろそのほうがいいと体現している数少ない人だと思っているし、それはアートなのではないかと思っている。安易に消費され移り変わり続けていく中で、ジャグリングだけのひとり70分は正気の沙汰じゃない。技術だけではなく表現力の高さや核となる信念がなければ成立しない。だけれどこの先、ジャグリングが舞台作品として、ゆくゆくは現代サーカスとして、誰の目にも届くようになる未来への多大なる一歩なのではないだろうか。目黒さんはいつか演りたいもののひとつだったからやっただけとか言いそうな気がするけれど。

ライフワークと言い切った表題、タイトル通りこの先も続いていく限りある時間をまた何度も観ていきたい。







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ここから文体が変わります。至極誰の得にもなりません。ご注意ください。
さて、ソロ公演をするぞ!とアナウンスがあってから、試行錯誤とか挑戦とかのほんの一部を垣間見させてもらいながら1週間前にはなんだか心臓がおかしくなりつつそわそわしてた。開場時間ぎりっぎりの到着で落ち着かないまま、ゴロゴロと幕が開いて見えた景色はcoucouっぽいな?と思った。下手前方には吊るされたリングの束が3つ、中央後方にそびえたつ壁、無造作(ではないが)に置かれたコンタクトとボール。上手から目黒さん、続いて坂本さんが入ると客電がゆっくりと落とされた。緊張してるな。会場の空気が重たい。観てしまうのが怖いと初めて思った。落ち着いて、大丈夫、大丈夫、と何度も思った気がする初日。坂本さんのチェロと鍵盤ハーモニカとオルゴールのような音色、ガチセッションにいつもと違う高揚感?で眠れなかった。明けて2日目。太陽が本気を出す中遅延した電車で、今日の1回目は最後列で観ようと決めた。少し上からの眺めは初日とはうって変わって穏やかな雰囲気を感じつつ、いいぞいいぞいけいけーとにやにやしてたと思う。カポつけて抱いてかき鳴らすチェロなんて素敵すぎるし、ラジヲの雑音もたくさんの残音もどれも好きだった。ドトールに逃げて補給したミラノサンドとコーヒーが沁みた。現代座に戻りながら、あぁ最後の1回になったな儚いなと感傷に浸るなどしつつ2回目。切れるな集中と体力…美しすぎるほどのピアノの上で苦悶がちらりと覗く瞬間、確かめるようにキャッチした表情が見えた時、満ち足りたと思った。なんかよくわかんない感情なんだけど、もう大丈夫これ以上もういいよわかったから!とか思ってたと思う。これを書いている今、すでに足りないな?と思ってるけど。あの、4つボールいっぺんに投げて一個ずつ取って下に落とすとこ気持ちよかったなぁぁ。リングの腕くるくるも、コンタクトの後ろ手も、うひぃってなったなぁぁ。集中力を相当使って、感情の起伏が激しすぎた2日間でした。次はいつかな。1年に1回はやってくれないかな。と希望を書いてみます。お疲れさまでした。ありがとうございました。



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