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人生は、不安な夜に進展する。

『聲の形』の劇中の雰囲気がとても好みだったので、今回もかなり期待して行ったが、それを軽く超えてくれて、胸のすくような思いだった。思いっきり音を間引いて間引いて、生活音や自然音を入れ込んでひとつの流れを生み出す作りがアニメーションの柔らかなタッチにフィットしている。それでいてなお、10代の不自由さ、歯がゆさ、いたたまれなさを通奏的に表現していて、道中ずっと胸が締め付けられるような想いがした。



“主よ、
変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を我に与え給え。
神よ、
私に変えることのできないものは、
それを素直に受け容れるような心の平和を!
変えることのできるものは、
それを変える勇気を!
そして変えられるものと変えられないものとを、
見分ける知恵を!
この私にお与えください。”

ラインホールド・ニーバーの祈り、として広く知られるこの一節が、本作の大きなテーマになっている。戦時中の米兵に配られ、戦後はアルコールや薬物に依存した人々の更生プログラムに組み込まれてきたメッセージを、パステルな10代の色に染めていく試みは斬新だった。
舞台をミッション系の女学校に設定し、登場人物も美術も何処か非日常的な世界観でまとめることで、どこまでも純粋に道徳的なテーマにまとめあげている。世間の汚さや残酷さから一線を画した安全で平和な世界で彼らは出会い、語らい、唄っている。
それは、日々の混濁した世界から一時的に隔離され、没入していく我々鑑賞者と同化していった。
まるで僕らがそれぞれの『良いところ』をもっていて、華やかに色を発出しているかのようだった。IMAXの鮮烈な色彩との高い親和性が、その働きを増幅させた。
決して凝った脚本ではないことも、僕らを没入させるひとつのファクターだ。主人公の持つ共感覚を除けば、彼らの持つ悩みや不安は定番中の定番である。けれどそれぞれを無駄に重々しくしないことで、ひとりひとりが青春時代を自分なりに悩み、あがく姿を描いており、過剰な演出に疲弊した現代人のリアルな感覚に合っているように思えた。

そして、往々にしてそういった苦しみは夜に展開する。
夜という、人間が本能的に不安定になる状況で、精神的に密着し、『好きと秘密を共有し合う』。これまで自分の小さな躯の中で渦巻いていたものが、信頼された夜の空間になら、放たれることを許されるのである。そしてそれは、朝の光によって本能的に肯定される。これは一種の告解のようだ。自分にもそう言った経験がないでは無い。
とにもかくにも、こういった人生の進展には不自由な夜、という舞台設定が必要になるのだが、大人になってしまうと、便利が僕らを安全な日常に連れ戻してしまうなあと懐古した。自らの蟠りを許してくれる夜を、僕はもう何年避けているのだろうか。

深い夜を過ごすから、光はまた眩しい。自らの罪を肯定し、変えられないものを受け入れたのち、変えられるものを変える勇気を持って踏み出した一歩は開放的で、牧歌的だ。それぞれが自他を赦しあう道程で得た、「大丈夫だ」という感覚が出発点となって、太陽の下に結実するのだろう。そういった意味では、正に王道のサクセスストーリーであった。我々は鑑賞者であると同時に、ステージの観客として、羨ましく思った。

しかし劇中の観客が一体となって躍る中で、僕は最終盤、それを呆然と眺めていた。これまで没入していた世界についていけなくなって、いつもの、傍観者の立場に戻っていた。どちらかと言えば、彼らの遠い親族のような心持ちで、ああ、僕はもうこの世界の当事者にはなり得ないのだなと諦観した。あの世界についていって、一緒に躍ることのできる人が、こちらの世界にも沢山いるのだろう。雑多なくくり方をすれば、そうやって『青春』を出来る大人を、別な感覚で羨望した。これは映画の善し悪しではなく、僕の当事者的な問題であった。自分の中に渦巻きつづけ、塒のようになったものは、いつか夜を介して、赦される時が来るのだろうか。

エンディングの力が強すぎて、今もずっと頭の中をぐるぐるぐるぐる四つ打ちしながら廻っている。ある種、無条件に僕らを赦してくれるような、久しぶりにポップなミスチルだった。本作は救いの手を何本か差し伸ばされている自覚があって、最後まで手を取れなかった自分を、嗤っている。

それにしても今年最もしっくり来た映画だった。かなりのスロウスタートで、思い切った構成ではあったけれど、その分のクライマックスを爽快に、ラストを意識的にぶった斬って青春の続きを予感させる造りに感嘆した。音響も美術も活き活きとしていた。再訪しても良い。もう一度ステージを観たときに、違うことを思えるかもしれないので。

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