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8.11

熱は下がったので、2日くらいの溜まった家事を少しずつしながらポテチをぼりぼりと食べながらソファでごろごろとし、ああ旅行行きたかったなと悔やんでいます。森林浴したかったなあ、悔しい。

滝口悠生の往復書簡の本を読みながら、一歳くらいの娘さんが出てくるので、読みながらわたしも子どもが赤ちゃんのころや一歳になるまでのころを思い出したのですが、小さいうちの子どもの成長スピードは凄まじいので、毎日何時くらいに起きて、何をして遊んで、夜は何時くらいに寝て、夜中何回くらい起きて、寝かしつけはどうやって、みたいなことを、朧げには覚えているけれどなかなか思い出せなくなってきて、子どもがもっと大きくなってきたらいろいろと懐かしく思い出そうとしたり、振り返ったりするのかなあと思うけれど、いまはまだぜんぜんそんな余裕もなく、子どもとの距離が近いので、赤ちゃんのころも、思い出として振り返ったりはできないなあと思う。

と、書きながら、ひとつ思い出したことがあって、赤ちゃんのころ、テーブルの椅子からコップを落としても、ゴンって床にぶつかる音がしても、そのあとまるで無関心だったということを思い出しました。それが数ヶ月経ったころでしょうか、同じようにコップを落としたら、その音がするほうをみやって、コップが落ちたことをおしえてくれるようになりました。

そのときふと思ったのが、赤ちゃんのころって、遊びを通して、この世界の基本的な物理法則を学んでいるのかな、ということ。物は落ちるということ、転がって見えなくなったものは見えなくなるだけでなくなるわけじゃないということ、物を押したら動いたりすること、etc. 逆にいえば、いまこの世界の物理法則じゃなくても適応できる認知能力?が人間には備わってるのかもしれないなとおもって、そう考えるとおもしろくなったのでした。

子どもの視点から、なぜそれをしたのか、と考えるのは案外難しくて、もうすぐ3歳になるいまも、適度な距離感とバランスを掴むのは努力が必要だったりします。子どもはまだあまり話さないので、でも話したいことはたくさんあるし、意思表示もはっきりしてるので、適度に言いたいことを補いつつ、でも先回りして話しすぎたり、こうなんだよねと決めつけたりせず、というバランスを取るのは難しく、これで正解なんかなとふと不安になることもあるけれど、はてとよく考えてみればそれはいったい誰にとって正解なのかといえばもちろん子どもにとってであって子育て専門家や先生ではないのですね。

でもこの歳で起きたことを大きくなって子どもが、あのとき親にああ言われて嬉しかった、嫌だった、と振り返ることは絶対なくて、となるとこの時期の声かけの正解、不正解はどうしたってわかることはなく、そもそも子育てに正解を求めてしまうこと自体がうんぬんというのもあるし、と考えてるとよくわからなくなってきました。

とりあえずここまで書いてていま思うことは、イライラや怒りをベースにした言葉はなるべく控えることと、子どもが落ち着いたりする方の声かけの方にしてみるということ、これくらいで、子どもも自分も笑顔になる声かけ、というと少しハードルが高いので、お互い気持ちが昂ったときに、なるべく落ち着けるようなトーンや声かけの方にしよう、ということでした。

それでは、また。

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