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最後の晩餐、回転寿司

子どものころは、年に一度訪れる一時帰国がすごくすごく楽しみだった。関空に降り立ち、「ようこそ」とか、「入国審査」とか、「ゲート120〜150」とか、目線を上にやるとどこもかしこも日本語があることに、どうしようもなく心が踊ったのをよく覚えている。

本屋も、文房具屋も、315円均一のファンシーショップも、ふわふわしたパンばかりが売っているパン屋も、何もかもが私の"日本への憧れ"を募らせた。

そんな、つかの間の日本滞在の最終日前日は、いつも決まって回転寿司だった。最後の晩餐は、やっぱりお寿司だったのだ。

思えば、お寿司はいつも贅沢品だった。海外で食べると高いからだ。日本の回転寿司は一皿で100円からと、圧倒的に安い。おかあさん、おばあちゃん、おばさん、おとうとにおとうと、と私という大人数で食べに行っても懐に優しいのだと、大人になった今は思う。

高級板前寿司にあるカウンターはなく、ほとんどがファミリー向けのボックスシート。くるくると回転しながらやってくる回転寿司のすぐそばに座れるのは、ふたりだけ。やっぱり自分でとりたいから、子どものころは弟たちとよくとりあったっけ。

粉っぽいお茶を飲みながら、タッチパネルに手をのばす。絶対譲れないのはサーモンとまぐろ。王道だけれど、王道だからこそやっぱりまず最初に食べたいのだ。

注文したお寿司が届く前に、同じネタのお寿司がくるくる回転して回って来たときはすごく悩んだ。今すぐ手にとって食べたいけれど、あとから注文したやつは必ず食べないといけない。待つべきか、待たざるべきかーーそんなことを、当時は、いや大人になった今でも、回転寿司に行ったときの一番の悩みだ。

食べ終わったお寿司のお皿を、どんどん積み上げていくのも好きだった。最後の晩餐だからか、おかあさんやおばあちゃんは食べたいだけ食べさせてくれた。いか、えび、アナゴ、卵焼き、鉄火巻き、うに、いくら、ネギトロ......お寿司に飽きたときは、うどんとかフライドポテトとかを手に取ったりしてたっけ。

「すみませーん」とお寿司で膨れ上がったお腹をさすりながら店員さんを呼ぶ。会計の前にお皿の枚数を数えてもらうのだ。うず高く積まれたお寿司のお皿は、右へ左へちょっとずつ傾きながらも、なんとかその高さを守り、さらに上へ上へと登ろうとしていた。

店員さんが数えているのを横目で見ながら、私はもっと食べたかったのになあ、なんてことを思う。あと1年、回転寿司にはありつけないのだから、1年分もっと食べておけばよかった、と。まだだって、きすとかえんがわとかあじとか、マイナーなお寿司はお腹に収まっていない。サーモンやまぐろはまだ海外で食べれても、きすとかえんがわとかあじにはありつけないって、わかってたのに。

最後の晩餐はいつも、苦しいお腹とそんなほんのちょっとの後悔を伴って終わる。お店を出たころにはもう真っ暗で、暗くなった駐車場を歩きながら私は、日本を離れることのさみしさがこみあげてくるのを知っている。さみしい、あと1年、帰ってこれないのだから。子どものころの一年は、今では考えられないくらい長かった。

おとなになった今でも、回転寿司はなにか特別な食事のように感じる。一人前に板前寿司に行くこともなく、久しぶりに家族が集まったときには、「じゃあ、回転寿司で」なんてリクエストして。それで相も変わらず、サーモンとまぐろから手を伸ばすんだ。


written by: SAKI.S
(カバー写真:写真AC)


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