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5.10

5月のわりには肌寒い日が続いている気がするけれど、連休中に冬物はだいたい片してしまい、半袖半ズボンで凍えながらふとんにもぐった。

息子はいま電車が好きで、寝る前にいつも山手線の写真が載っている絵本を読んでいる。その絵本で、ドアを開け閉めできる山手線と同じ車種の山手線が出てくると、いつもドアの写真のところに指をあててドアを開け閉めする仕草をする。

最初電車のおもちゃで遊ぶときの真似をしているのかな、と思ったのだけれど、本気でやっていることに気づき、あ、そうか、スマホとかiPadとかだと指で触って操作するもんな、それと同じことをやっているのか、ということに思い当たった。子どもにとって「平たい画面、紙面」はすべからくインタラクティブで、確かにテレビやパソコン画面に対しても指で触って動かそうとする。山手線のこの絵本はすべて写真なので、なおさらそんな、触れる画面

スマホとかiPadに触れすぎかなあ、ともやもやもするのだけれど、よく「子どものまっさらな目で」といった言い方があるけれど、こういうことか、と腑に落ちた。私は絵本や本は触っても何も起きない = インタラクティブ性はない、という先入観があるけれど、彼にはないんだな、と。確かに触って何も起きない絵本より、仕掛け絵本の方が楽しかったりするし、もっとインタラクティブ性のあるデジタルな絵本があったらきっと楽しいんだろうな、と。デジタル・ネイティブ世代というよりは、インタラクティブ・・ネイティブ世代みたいな感じだと思った。テレビとか、本とか、新聞とか、ネットでもリアクションやコメントできないサイトとか、そういうインタラクティブ性がないものに対しては「なんじゃこりゃ」と将来思うのかもしれない。

よくよく考えればそれがむしろ「ふつう」の感覚かもしれないな、と思う。太古の昔は、人から人へ、インタラクティブ性のある情報交換や伝達が行われていたと思うし、リモートワークになっても「相手の顔を見ながら話したい」という声が根強いのは、そうしたコミュニケーション、インタラクティブ性を志向するいわば本能的なものの現れであって、そうじゃない近代の一方通行なマスメディアが異例というか、そう考えるとSNSはネガティブな面の方が表に出てくるけど、新聞、テレビが廃れてきてSNSがメディアの役割を果たしているのは、新しく見えて実は昔からあったインタラクティブ性が復権しているだけなのかもしれない。

だからSNSは、「みんなが発信者」という意識が、セキュリティとプライバシーを担保された上で醸成されれば、今よりずっと良いものになっていくんだろうか。それ以上に、オンライン上での名前と人格をひとりひとりが持ち、そこでコミュニケーションをとったり情報交換したりするメタバース的、サマーウォーズ的な世界になっていくのかな、と想像する。

それでは、また。


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