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春なので、種を蒔く

三寒四温、とはこのことで、先日20度まで上がったと思いきや、今日は一日中10度を切っていた。

それでも春はすぐそこまで来ていて、ふと視線を横にずらすと、桜のつぼみがほころびかけている。

春は、何かを始めたくなる季節だ。あたたかい風が、私の背中をふわっと押してくれるから。

先日、エッセイを書かせてもらった本、『でも、ふりかえれば甘ったるく』(略してでもふり)が発売された。幸せ、をテーマとしたオムニバスエッセイで、私を含め9名の書き手と、一名のイラストレーターでできている。

全員女性で、私も他の方のエッセイを読んでいるとその甘酸っぱさに、毎回どきどきしている。

でもふりのエッセイを書きながら私は、エッセイって日々をちゃんと過ごしていないと書けないなあ...なんてことを思っていた。

ちゃんと過ごすの「ちゃんと」ってなんぞや、ってなるけど、私の場合は、毎日ごはんを食べて、たっぷり眠って、たまにジムで運動して、こつこつ仕事を期日に仕上げて、家事をして、家族とごはんのあと話して、休日はお休みして...という、日々を地味だけど地道に、積み重ねることだ。

書くこと、仕事のことだけ考えて、やっていては、私には書けなかった、そんな言葉たちを、でもふりには書いた。

幸せ、がテーマとはなっているけれど、私の場合は、幸せなときは幸せについて思い悩んだりなんかしないから、日々仕事で忙しくて帰宅しても家事でバタバタで、たまの休みの日、ぽっかりと空いてしまった時間に、「そういえば、私の幸せってなんだっけ...」ってなったときに手に取ってもらいたいな、と思って、ぽつり、ぽつりと言葉を紡いだ。

それはまるで、春になって、種を植えたような感じだった。

私の大好きなかるたマンガ「ちはやふる」のなかに、「立ち止まりは種を埋めているようなもの」というセリフがある。

すごく印象に残っている言葉で、まわりから見ても、自分から見ても、立ち止まっているように見えるけれど、いつか、花を咲かすためにはきっと、必要な時間なんだと思う。

でもふりに書いたエッセイは、どれも、花というよりは種みたいなものだ。生きづらさ、ネガティブな感情を抱えてながらも生きること。他者と出会って生きること、そのとき、自分と他者の多様性を認めること。アートのこと、表現すること...。

どれも、伝えたいことほど、まだまだ上手く、伝えられなくて。

種を植えて、それが芽を出して、花が咲いたり実をつけたりするのには、きっと時間がかかる。

でもきっと、時間がかかるからこそ、届く言葉もある。今じゃないかもしれない、でも私の植えた種が、誰かのところで芽を出して、いつか届けばいいなと思う。

そんな思いを込めて、書くということにも思いをはせて、書いた今回の、でもふり。

そういえばこの間、でもふりを読んで、自分でもエッセイ書いてみたくなったっていう方がいて、すごく嬉しくなった。

こうやって、私が今回種を植えたみたいに、でもふりを読んだあなたも、自分で自分の種を植えてくれたら、こんなに嬉しいことはない。

そしてそんなあなたの種もきっと、次の誰かのところで、花開くはずだから。

でもふりは現在、多数の書店およびアマゾンで取り扱われています。かわいい表紙だし、ペーパーバックで読むごとにどんどん手に馴染むので、ぜひ実際にその手に取ってほしい一冊です。

でもふり アマゾン

編集してくださった西川タイジさんが、でもふり取り扱い書店をツイートしています。

西川さんツイッター

それでは、また。

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