6.16

週末にかけて村上春樹の騎士団長殺しを読み終わる。騎士団長殺しを読んでいたらフィッツジェラルドのグレートギャッツビーを思い出し、久々に読みたくなったので、次はそっちをちびちび読み進めている。村上春樹翻訳ライブラリーの本で、サイズ感、余白感、紙質、ページをめくる感じとか、すごく好き。

騎士団長殺しに出てくる(ちょっとネタバレします)免色さんがすごくギャッツビーに似ているなというか、村上春樹が最も影響を受けた本として挙げてるのがグレートギャッツビーなので、たぶん免色さんは、ギャッツビーを意識して書かれたのではないだろうか。ギャッツビーはアメリカにいたときに初めて、高校のEnglishの授業で読んだ。その授業は高校二年生むけの授業で、1年間かけてアメリカ文学(アメリカという国自体の歴史は短いので印象としては1800年代くらいからの近代文学から始まるなあという感じだったが。最初に読んだのは確かホーソーンの緋文字)を読むのだけれど、その一年で一番印象に残ったのがグレートギャッツビーなのだった。その中で一番印象に残っているのが、ギャッツビーが対岸にある緑の光(green lightだったかな...?)を見つめるシーンで、これは、免色さんが毎夜、谷をはさんだ向こう側にある家(「自分の娘かもしれないまりえが住む家」)を望遠鏡で観察している、というのとすごくかぶる。手に入れられたかもしれないけれど失ってしまったもの、今は決して手に入れられないもの、過去に手をのばそうとする行為、こうした感情は誰もが多かれ少なかれ持っているものであり、そこから漂う普遍的な郷愁、めいたもの、の香りが好きだなあと思う。

ギャッツビーの方は細かい筋書きを忘れているので、ゆっくり読み返したい。それでは、また。

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