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「無理しないで」と言うけれど、

ああもう今日は全然ダメだ、って日があって、きっと今日はそんな日なんだ。前兆は昨日の夜からあって、ごはんも終わって保育園申請の手続きをして、とかやっていたら気持ちがダウンし始めて、今日の朝起きてからもなんだか気持ちがうつうつしていた。そういう日ってなんだかうまくいかないことが重なる、というか、ちょっとしたことが大きいダメージとなって心をえぐってくる。晴れていたのに曇ってきた空とか、昼間になっても上がらない気温とか、お腹空いているのにぐずってなかなか飲んでくれない息子とか、仕事のミスとか、ちょっとパソコン見て集中しただけでじわじわ身体の内側から押し寄せてくる疲れとか。

心も身体も疲れてるとき、いつもなんだか泣きたくなることを私は知っている。こういうときは心がぱさぱさしているときで、ああたぶん、私の中に「物語」が足りてないんだなって思って、夫にしばらく子どもを見てもらって、寝室にこもってふとんにくるまってポッキーとポテチをぼりぼり食べながらマンガを読んだ。以前大人買いした銀のスプーン。1、2時間くらい読んで、お風呂に入って夜の授乳をして、ごはんの準備をしているうちに、徐々に回復しはじめた。たぶん、「物語」が効いてきたんだと思う。遠くの、架空の、マンガの中にいる人たちのものがたりが私のなかにすうっと染み渡ってきて、そのあいだだけ、私は私でないことを許される。忘れられる。小さいころからそうだった、私は24時間365日、「私」だけでいることがすごくすごくしんどくて、そのころはそんなこと思っていなかったけれど、引っ越して転校したばかりのころは特に、本、というか小説を読んでいたなあと思い出す。

産後、無理しないでといろんな人に言われてすごく嬉しいのだけれど、疲れたときはふと、「無理をしない」ってどういうことかなあと思う。子どもは誰か大人がいないと死んじゃうし、生活していくためにはやっぱりある程度の仕事はしないといけないし、てきとうな食事で済まそうと思っても母乳ある程度あげてるし、外のごはんは塩辛いし、掃除や片付けしないとイライラするし、他の人や家事を外注することには全然抵抗がないけれど、お金もかかれば気も使う。ああ、2、3日、なんにも考えずにふとんの中でずっとマンガか小説読んでたいなあと思う。ただ、それだけ。

どれだけしんどくても、やっぱり小説かマンガは毎日ちょっとずつでいいから読もうと思った。しんどいときはさぼることを増やして、その分マンガか本を読む、というのが、自分にとっての「無理をしない」ということなんだと思う。私が私として生きていくためには、私でない、誰かの物語が必要なのだ、きっと。って、こうやって書くと大げさだけど。

それでは、また。

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