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8.26(創世記31 | わたしにとって書くことの意味

今朝は5時に起きてしまい、二度寝できずだったので期せずして早起きをしています。先に仕事やっちゃって後で昼寝するかどうか、どうしようかうだうだ悩んでいるところです。

最近、じぶんにとって、書くことの意味ってなんだろう、と改めて考えています。というのも書くために早起きを始めたからで、早起きはやっぱり眠かったりつらかったりするのでやる意味ある?とぐるぐる考えてしまった、というのがあるだけなのですが、何年かnoteとかで日記書いてきたりして、ふと立ち止まるとなんのために書いてんのかな、と思ったのでした。

早起きしてでも書こう、と今回思ったいちばんは、とにかく書いたり言語化しないともやもやしてしまって、それが気持ち悪くて、いやで、という単純なもやもやからきています。

いちにち生活してて、テーブル拭いたり、掃除機かけたり、コーヒー淹れたり、本読んだり、ストレッチしたり、のあいだに、ふとあ、こんなこと感じた、あんなこと考えた、とか、あ、今度これについて書きたいな、と、ほんとうにふと、思うことが何回もあって、でもそれをそのとき脳裏に浮かんだだけでは、そのあとなんだっけ、って忘れてしまったり、それが悲しかったり、じゃあ忘れないようにしよう、と脳裏に留めておこうとすると、忘れることができず脳のキャパシティを圧迫してる感じがしてそれもまたもやもやして、じゃあ思いついたらメモしようと思って手帳にメモをすると、それについてメモしただけで書いてないことに今度はもやもやしてきて、書こうと思ってるリストがどんどん長くなってることに、つまり思いついたことと実際に書いてアウトプットしたことのバランスが悪すぎてもやもやし、と、とにかくもやもやする‼︎ということが、忙しくて書いたりしない時間が増えれば増えるほど起きて、とにかく書いたり言語化してこのもやもやをなんとかしたい、といった単純な思いから、苦手だった早起きを決行しています。

と、続きを書こうと思ったのですが6時になって仕事にとりかかろうかと思い直したので分割して書こうと思います。

それでは、また。


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