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11.5

赤毛のアンの最新刊(文春文庫から出ている新訳のやつ)がもうすぐ出るので、新潮文庫のを買わずにしばらく待っている。あいだに箸休め的な感じで、読み終わっていなかった読書の日記。あんなに分厚い(1000ページ以上あるのかな)の日記ももう終わりで、2巻あるけれど、もう一冊の方も読み終わっているので、少しさみしい。

この日記で書かれている、労働(この方の場合、書評にも書かれてた気がするけど仕事、より労働、という言葉の方が合う気がする)と疲労について、たまに無性に読みたくなることがある。実直な労働と、それに伴う疲労を追体験することで、わからない、癒やしとは違うし、「私も頑張ろうとなる」とも違うんだけれど、前向きになれる、とも違うんだけれど、でも確実に、読む滋養、があるのだ。いろんな地名や固有名詞が出てくるのと、淡々と書かれているから、ああ、自分の他にも確かに生きて生活している人がいるんだな、というのを、体感するのかもしれない。誰かの生活に入り込む感じ。自分以外の人の生活に同期することで得られる、滋養めいたなにか。ひとりじゃない、という体感。うまく言葉にできないのだけれど、日記ってこんな効果があるのか、と日記を読んだり書いたりする人が嬉しくなるような日記である。

それでは、また。

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