大学入試現代文の道標⑦~余談「比較について」前編

 前回の記事にて、夏休み中前まででやっておくべきことについては、一通り説明しました。
 
 今回からしばらくは、余談の形で内容を補足していきたいと思います。

   今回のテーマは「比較」についてです。

◎お手軽かつ強力に主張をサポートする「比較」

 少し個人的なお話をまずはさせてください。僕には、8歳の長男と4歳の長女がいるのですが、ある日、我が家でおやつにショートケーキを食べることになりました。少し遅めの時間帯でしたのでたくさん食べてしまうと夕食が食べられなくなることを懸念した妻が、長男と長女にこう提案しました。「今日は、ショートケーキは1個全部じゃなくて半分だけ食べなさい。残り半分は明日のおやつにしたらいいでしょ。」

 長男は、妻の言い分に納得したのか、あるいは逆らっても無駄だと思ったのか、素直に応じます。

 しかし、竹中家のリーサルウェポンである長女は一向に応じません。彼女は全力で大泣きしながら、こう言いました。

「しおちゃん(長女のことです)もケーキ1個食べた~い!!半分じゃ足りな~い!!だって、みんな(僕と妻のこと)は1個食べるのに~!!」(以下号泣が続く) 

 彼女の言い分を少し整理しますと、

長女の主張=ケーキを1個食べたい 

   理由=半分では満足できないから

   比較=僕と妻は1個食べている(私は半分) 

 ということになります。

 ここで注目してほしい点は、長女は「理由」と「比較」を用いることで、主張を補強しようとしているという点です。 

 またどこかでお話しすると思いますが、「理由」とは基本的に主語主題の意図を述べることで、主張の補強につなげるものです。ですから、長女の理由においても「半分では満足できない」という彼女の意図ないし主観が説明されていますね。

 一方、今回のテーマである「比較」は、異なる対象と比べることで主張の補強を目指すもの。先ほどの長女の例では「ショートケーキを1個丸ごと食べられる僕と妻」と自分を比較し、その不公平さを指摘しているわけです。ここでは、自分という狭い世界を抜け出し、「僕と妻」という別の対象に視野を広げる理性的な娘の姿が垣間見られます(ちょっと親バカが入ってます)。

 実は、ここに「比較」の醍醐味があるわけです。つまり、4歳児でも無意識に扱えるぐらいお手軽なもので、より大きな視野に基づいた主張展開を可能にしてくれる(客観性を高めてくれる)、そうした技術が「比較」と呼ばれるものなのです。

◎大学入試評論文における「比較」の頻出パターン

 こうした比較は、評論文でもほぼ確実に用いられます。特によく用いられる「比較」のパターンは以下の通りです。

①時代比較・・・近代以前と近現代  など

②文化比較・・・西洋と東洋(日本) など

③概念比較・・・文明と文化     など 

④学説比較・・・一般論と主張    など

 例えば、時代比較についてお話しましょう。評論文は、その多くは現代社会の問題点について論じていきます。しかし、現代社会を論じるのに現代のことだけ述べては、時間的視野が限定されてしまう。そこで、筆者は近代以前の時代(前近代)との「比較」から、現代の有り方を再考するという技術を用いるわけです。そうすると、時間的視野が拡大し、より客観的な主張展開が可能になりますよね。

 このように、評論文の筆者も愛用してやまない「比較」。ぜひ、我々読者も「比較」へのアンテナを高く持ち、評論文の展開把握に役立てたいものです。

 次回の記事では、後編として「比較が出てきたらどう対応するか」についてお話します。

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