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心臓むきだしの中学女子バスケ部

考えたこととかではなく、ただ単に覚えていることなのですが、本当に人生史上いちばん野性味あふれる社会生活を送っていたなあってことです。

私は試合に出れるのは5人なのに、同学年が15人といういかにも争いが生まれそうな女バスに入っていました。実際に争いは多々ありました。

登下校誰とするかというレベルのことにもいざこざがあったし、先生の意図がまるでわからないユニフォームの番号にざわざわしたり、ハイタッチや掛け声がいつもと違うことにあの2人何かあった?って噂したり。順番に無視されていくっていうあるあるもあった。

2つよく覚えてる試合があって、ひとつは謎に調子が良くて、途中交代したあと試合終了まで出させてもらえた試合。唯一。

試合の最中に先生が、ベンチに座れず立ってるいつも出れてないメンバーに向かって「地道に頑張ったらこうなれるんや!」みたいなこと言ったり、スタメンメンバーに向かって「あぐらかいてると交代させるからな」って言ったりしてたのをすごくよく覚えてる。私に代わられた子は泣いてた。

このときによっしゃ!って清々しく頑張れる子だったらよかったけど、私は嬉しさ半分、そんなこと言ってどう思われるやろう波風立てないでとも思うような、うざいやつだった。いろいろと調子のんな本気でやれって感じで、ほんとに申し訳ない

あのときのシュート率は以前も以降もないまぐれだった。自分の役割と思っていたディフェンスでちょっと褒められることが嬉しくて、それ以上は頑張らずみんなと何事もなく穏やかにっていう考えだったのがよく出てるなって今思う。

それが良かったのか悪かったのか、わからないけどとりあえず後悔はしてる。全体的にこのころの自分はものっすごい卑怯で、こうしてたらどうだっただろうって思うことがたくさん

もう1つ覚えてるのは、自分が一番弱いやつだと相手チームにターゲットにされた試合。中学バスケであんな屈辱的なのやる?って今なら笑ってまうけど、このとき辛かったなあー。

でもこの記憶にセットで、いろんな人に励まされたり、アドバイスもらったり、ほめられたりしたのも覚えてる。たぶん心が折れるのを心配してくれたんやろう。試合の時は仲良くなる。笑

人一倍励ましてくれた子は、後輩男子によくちょっかい出されてるようなお姉ちゃん系の子。はたちを超えてから会ったら、落ち着いて包容力お姉さんに転換されてた。しっかりしてて、二人で棘のあった子の集団から離れる決意をしたのも覚えてる。

そのいちばん棘のあった子も、最近バイト先に来てて話したらかなり丸くなっていた。この棘も本気でバスケしてたゆえの、私の全力じゃない感じにイライラしてたんやろうなあっていうのは後でわかった。根は丸かったんやね。

でも私のスーパーの深夜バイトに、友達とわいわいお菓子を買いに来てたのは変わらんなあと思った。こちとらダサめのエプロンでレジ打ってるのも変わらん。

今ならもっと平和に仲良く部活ができるやろなっていうのは確信してる。中学生の時気づかなかった自分の卑怯さとか、そういうのを反省して最低限まだましな自分になってきてると思う。みんなも少なからずそうなんやろうなって思ってる。

でもみんながそのままの部活だからこそ楽しかったというかおもしろかったこともあるって、今はいい思い出になった。

今はもう自分からどのコミュニティ?集団に近づくかを選べてしまって、実際高校、大学、就職先って同じような人が集まっている気がする。趣味嗜好とか全然違うけど、価値観とか考え方とかは似てきてる。

加えてみんな人当り柔らかくなったし、理性も装備したし、気を使って、計算して、立場も考えて行動してるから、今は中学校と比べて確実に、安全保障ばつぐんな環境にいる。

この安全保障をつくったのは、複雑怪奇な中学校時代を経たからだと思う。

不必要に傷つけあってたことを正当化するわけでは決してなくて、その状態は早いこと傷が浅いうちに抜けないといけないのかもしれないけど。

でもなぜかこんなおとなしい自分が、血気盛んな女バスで、今の糧となった心臓むきだしの、野性味あふれる刺激的な時期を過ごせたこと。

確実に勉強よりも実のあるものだったし、戻りたいと思うほどにおもしろかったなって、なつかしく思います。

PS 
会って話すだけじゃなくて、今バスケしたらどこまで穏やかなのか実験してみたい

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