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ある朝、目が見えなくなってから #人生を変える学び 石井健介 vol.1

――人は時に痛みを伴いながら、人生から学びます。苦しみながらも学びを掴み取った人は、時に別人のように変容を遂げ、その人らしく生き始めます。その時、どのような深い学びが起こったのでしょうか。また、同じ体験をしても学びに変えていかない人もいます。その別れ道はどこにあるのでしょうか。本連載「人生を変える学び」では、そのポイントをインタビュアーの武井涼子さん(グロービス経営大学院教員)に解説してもらいます。

シリーズ連載第2弾は、アパレルに携わり、フリーランスとして活躍していたのに、ある朝突然目が見えなくなっていた、という石井健介さん(ダイアログ・イン・ザ・ダーク アテンド)にインタビューします (全4回)

ファッションが大好きな高校生だった

武井:石井さんは視神経を患われる前は、どのような方だったのでしょうか。

石井:子どもの頃から服が好きでした。高校時代は、バイトして月に一度千葉から東京に行って洋服を買ってクラブに寄って帰るような生活をしていました。

文化服装学院でファッションマーケティングを勉強して、アパレルの店員になったのですが、これは違うな、と。1年で辞めてロンドンに留学しました。

ロンドンの蚤の市で古着を漁りながら、洋服自体何ともなくても、自分のスタイルがあればかっこよくなると気づきました。たとえば、ぽっちゃりした女の子が、ベルトの上にお腹をのせててもキュート。

武井:日本でもお腹をベルトの上にのせている人はいるのではと思いますが、キュートとは受け取られなかった。日本とは何が違ったのですか?

石井:日本だと服はカタログなんです。イギリスだとスタイル。「私はこれが好き」って自分を表現しているから、すごくキュート。

ロンドンから帰国してレディースのアパレルブランドに就職して、そこで企画に携わった服を歌手の絢香さんがミュージックビデオや紅白で着用してくれたりと充実していました。

でも、日本はトレンドを追うから、1年たつと洋服の価値は自動的に落ちます。メーカーも在庫を抱えていると資産になってしまうから、数年もたてば焼却処分します。数年たって自分のつくった洋服が灰になっているのを見て、ショックを受けまして、転職しました。

エシカルファッションやオーガニックコットンのプロジェクトに取り組んでいる会社や、環境に配慮された日用品、インテリア雑貨を輸入販売している会社などを渡り歩きました。それが2006年くらいのことです。そのあと、震災と第一子が生まれたことを機にフリーランスに転身したんです。

なぜか分からないけど、セラピストが出来た

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武井:フリーランスでは何をされていたのでしょうか?

石井:フリーランスに転身して、今つけてるジュエリー「Nymphs」というブランドなんですけど、そこの営業と広報をやったり、占いの原稿を作る会社でファッション誌の「VOGUE」や「ELLE」の占いコーナーの企画提案や原稿の編集をしたり。占い師さんのブランディングやマネジメントなんかをしていました。

会社員時代の2010年ぐらいからセラピストも始めました。クラニアルセイクラルというボディワークと誘導瞑想をするセラピストとしての活動もしつつ、3~4つの仕事を回して4~5年過ごしてました。

武井:なぜセラピストをやろうとか思ったんですか?

石井:もっと時間をさかのぼるんですけど、2007年くらいに半年間だけ「マーマーマガジン」という服部みれいさんがされているライフスタイルマガジンに携わっていたんです。

そのマーマーマガジンがパルコで開いたイベントで、有名な人がハンドマッサージするというので僕もやってもらったんです。そうしたら、マッサージしながら内面をズバズバ言い当ててくるんですよ。すごい人だなと思って。

その時「あなたもやってみなさい」と、その方が僕に手を差し出すわけです。いきなり僕がマッサージすることになって、見よう見まねでやってみました。それが終わったら急に「じゃ、こっち座りなさい。もうできるはずだから、次お客さんが来たらあなたがやりなさい」と言われたんです。

武井:突然、セラピスト側に。すごいですね。

石井:「え?」ってなりますよね。ただ、できたんですよね。「なんだ?これできるぞ」と。

武井:なぜできたんですか?

石井:分からないです。分からないですけど、思えば、高校時代から学校に行くと靴箱に手紙が一杯はいっていて、それがラブレターじゃなくて、悩み相談なんです。だから僕は授業を受けずにその悩みに対して答えを書いていいました。

「世界の名言」という本を図書館でかりてノートにメモして、その名言を手紙の最後に書いたりして。だから、昔からセラピストみたいなことをやっていたのかもしれないです。

武井:そうすると、その時にはPRブランドコンサルタント的な動きと、営業代行みたいなことと、占いのディレクションと、セラピストをされていた。どれが一番大きい仕事だったんですか?

石井:収入で行くと占いが一番大きかったです。僕は西洋占星術だとふたご座が多くてコミュニケーションが向いているんです。いろんな仕事をするのも向いている。それで2016年の朝起きたら目が見えなくなっていた。

――目が見えなくなった石井さんは、自分を見失います。vol.2へ続く。