社会的インパクト投資への挑戦 #人生を変える学び 五十嵐剛志 vol.2
――会計士としてグローバルで働くために大学時代に猛勉強し、監査法人に入った五十嵐さん。入社後は希望通り、激務のアドバイザリー業務に就きますが、体が動かなくなってしまいます。
vol.2「偉くなりたい」人だったのにNPOへ転身
武井 :体が動かなくなっちゃったんですか。
五十嵐:正確には、動くんですけど激痛なんです。指も動かせないし、1人で寝ることもできない。
レントゲンを取ったりMRIを取ったり、どんどん輪切りにされて検査したんです。首がやられちゃってたんですけど、医学的にはどうしてそうなったのか原因が分からないと。自分ではハードワークが原因だって分かっているんですけど(笑)。
武井 :その頃って、どれぐらい働いてたんですか。
五十嵐:プロジェクトにのめり込んでていて2カ月ぐらい連続で1日の睡眠時間が2時間ぐらい。勝手にやったんですけど。
武井 :それは、とても体がもちそうにありませんね。
五十嵐:期間限定なので何とか乗り越えようと。
武井 :体が動かなくなってしまったのはいつですか?プロジェクトを乗り越えた直後ですか。
五十嵐:乗り越えられなかったです。その前に朝、体が動かなくなりました。
武井 :痛すぎて。
五十嵐:はい。その1週間ぐらい前から、おかしいなとは思ってたんですけど、背筋が切れちゃって。
武井 :背筋が切れた!回復にはどれくらいかかりましたか。
五十嵐:1年間です。背筋だけでなく、脊髄も痛めてしまっていて。休職自体は1カ月でしたけど。原因が分かったっていうか。
武井 :原因が不明だってことが分かった。
五十嵐: はい、そのとき人生終わったって思いました。少なくとも仕事はもうできないだろうと。こんな激痛でパソコンも打てないし、もう人生終わった、どうしようかな、何のために生きるんだろうな、と。生きてても意味ないなってすごく落ち込みました。体を壊してやることもないので、何のために生きてるのかずっと考えてて、シンプルに思ったのが、感謝の気持ちと後悔だったんですね。
健康で仕事や勉強ができるのを当たり前だと思っていましたし、自分の努力によって手に入れたと思っていました。「おまえらなんかより何十倍も努力してんだ、こっちは」っていう気持ちで生きてたので。
全て失って初めて、これまでなんて幸せだったんだろうと。なのに、自分は人に勝つための努力ばっかりして誰のためにもなってないじゃないかと。
武井 :病気になる前は会計の仕事を面白いと思っていましたか?
五十嵐:正直、違いますね。
武井 :なるほど、どっか違う気がするけど、とりあえずは続けようみたいな。
五十嵐:はい。3年、5年は。
武井 :倒れた時は20代後半?
五十嵐:26~7歳です。
武井 :そのタイミングで休みの期間が1カ月あったし、いろいろ考えたのですね。
五十嵐:復職後も1年間はドクターストップで残業が禁止されて、オフィスワークしかやらせてもらえなかったんです。でも頭は元気なんです。夜は仕事がないので、就業時間外でNPOのサポートを始めました。
絶望の中で見つけた「可能性を信じる」こと
武井 :どうしてNPOをサポートすることを選ばれたのでしょう?
五十嵐:当時参加した留学セミナーに「*Teach For Japan」代表の松田さんがいて「生まれた地域や環境に関わらず、全ての子どもには可能性がある。全ての子どもたちに素晴らしい教育を届けるんだ」って本気で言ってたんです。それがすごく響いて。実は僕はTeach For Japanに入ってもしばらく、この言葉の本当の意味が理解できてはいなかったことにあとで気が付くんですけど。
*Teach For Japan......独自に教師を採用・育成して教育困難校に派遣する教育系NPO。
武井 :本当の意味とはどういうことでしょうか?
五十嵐:本当の意味っていうのは、それを心から信じるってことなんです。本当にどんな子どもでも無限の可能性があるってことを。自分は体を壊して、たかだか1カ月休んだぐらいで人生終わったって思って可能性を1回捨てかけた。でも信じてくれる誰かがいたら違ったかもしれない。
大人になっていたのでよかったですが、これが子供の時だったらと考えると自暴自棄になっていたかもしれません。でも、松田さんのような大人が「大丈夫大丈夫」って言ってくれたら未来を信じられたかもしれないと思いました。
何かしらの原因があって自分の可能性を投げ出しちゃう人って一杯いると思うんですけど、君には無限の可能性があるんだって、しつこいぐらい言ってくれる大人がいて、それを実現してる姿を見せてくれたら、どんなにいい社会なんだろう、と。それに、自分自身がその時に必要としていた言葉もそれだったんですよ。
武井 :なるほど。
五十嵐:可能性を信じるっていうことは、多分1回絶望を味わった人、あるいはそういう境遇にあった人じゃないと、本当の意味って分からないんじゃないかな、と今は思います。そこからは、それを軸に生きていこうって変わりました。
*この記事の続きはこちら