座右の書

60歳を過ぎてもう後どれくらい生きられるのかよくわからないが、本もあとどれだけ読むことが出来るのかと考えることがある。
家の書棚には千を超える本が並んでいるが、おそらく半分以上は最後まで読んでいないだろう。逆に何回も何回も繰り返し読んだ本も多くある。お空く今まで最後まで読んだことのない本はもうこれからも読むことはないだろう。そして何度も繰り返し読んだ本はこれからもまた読むことになるだろう。これから出るであろう新しい本はよほど興味をひかなければ手に取ることも買うこともないだろう。
座右の書とはいろいろな意味もあるだろうが私は死ぬ間際まで手放さずその時々で目を通す本のことだと思っている。
具体的な著者名は言わないが私は大学を卒業して社会人になり給料で当時刊行され始めたある哲学者の全集を毎月購入して40年経った今も時々読んでいる。箱はもうなく装丁もずいぶんバラバラになってしまったがテープでつぎはぎしながら読んでいる。
おそらくこの全集が私の座右の書となるのだろう。哲学書だから内容は未だ半分以上理解出来ていないだろうが、全集十数巻を1巻から最後まで読み通したということ、そしてさらにまた最初から最後まで読もうとしていることを考えてもこの全集が私の座右の書そして死ぬまで手元に置いて読んでいくだろうという本だと思う。
座右の書は紹介されるようなベストセラーでなくてもいいのであってまさしく自分との運命の出会いによって天から与えられたものだと思う。

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