体育教師を辞め酒屋4代目になった理由
皆様、お久しぶりです。
生涯年収約3億円を捨て
酒屋4代目となった柱 知香良です。
4月から正式に酒屋一本で生きていこうと決めた元高校教師ですが、今日はその経緯についてお話ししようと思います!
少し長くなるかもしれませんが
お付き合い頂けると嬉しいです。
(本来は4月に投稿しようと思っていたものです🙇♂️)
僕が父の酒屋の仕事に初めて向き合ったのはちょうど2年前のこの時期でした。
新型コロナウイルスのパンデミックが騒がれる中、お酒業界は最悪の大打撃を受けることになります。
当時、某私立学校で教員をしていた僕も
コロナの影響で2ヶ月遅れの学校生活が予定されていました。
この教員としての空白の2ヶ月間は
家にいることが必然的に増え、それと同時に父の仕事を間近で見る機会が圧倒的に多くなりました。
コロナ禍でお酒が全く動かなくなり
家業であるつきや酒店もその影響を受け始めた頃でした。
そんなタイミングで社長(父兼3代目)から「ホームページ作ってよ」といわれ
そして僕は何の抵抗感もなく「いいよ」と快諾しました。
その日、僕は初めて【つきや酒店】と真剣に向き合うことになるのでした。
ホームページを作成するにあたりお店のコンセプトやこだわりを3代目からたくさん聞きました。
農業を考え
発酵の面白さを知り
醸造の奥深さを探求する
普通の人からしたら伝わりにくい
ざっくりとしたコンセプトなのかも知れません。
農業を考えるには農家さんから学ぶが良し
発酵の面白さを知り醸造の奥深さを探求するには蔵元から学ぶが良し
ここから見えてくるのは答えは
酒屋は第一次産業から始まる全ての過程をお客様に丁寧にお伝えするのが大切であるということでした。
①実際に田んぼに足を運び農家さんのこだわりや想いをお客様に伝える
②蔵元が伝えたいことをお客様にお届けする『造り手の代弁者』になること
③生産者の魅力を自分たちの言葉と付加価値を添えてお届けすること
①〜③の流れをしっかりとお客様にお伝えしていくことが酒屋にしか出来ない使命なのだと、3代目のアツい話を聞いて4代目の僕は強く思いました。
「酒屋ってめっちゃ面白いじゃん…!」
そんな素敵な実家の酒屋を
100年先まで続く文化にしたい
と強く思いました。
その日から僕は
お酒に囲まれた人生が始まりました。
その過程もまた少しずつ語って行きたいと思います。