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「明日は我が身」と危惧せぬから、悲劇が繰り返される。

 世の中では毎日のように、悲しい事件や事故が起きている。それも、年中、春は雪解けの雪崩や花見の急性アルコール中毒、夏は水難事故や熱中症、秋(実は年中)は食中毒、そして冬は山岳事故などが絶えない。加えて、交通事故や悪質運転は毎日起きている。

 日々の報道にて、「明日は我が身」と危惧する人がどれほどいるのだろうか。事件事故に巻き込まれた方々やご遺族のことを考えれば、息が詰まるほど辛くなる。生きている間は、医者より余命何日と言い渡されない限り、目の前の「死」を意識する人は少ない。筆者もそうである。

 過去における痛ましい事件事故を心に刻んでおけば、同様の事件や事故に巻き込まれる確率は低くなる。そこで、「私は大丈夫だ。まさか私が!?」と豪語する人ほど、同様の事件事故に巻き込まれているのではないか。

 先人が残した「津波到達地点の標柱」や水に関係する地名などをよく見掛けるが、それらは子々孫々の生命維持のための警告である。今でも、洪水や鉄砲水、崖崩れを起こす地域には、決まって「蛇」や「龍」、「水」などの文字が地名に組み込まれている。

 よって、上の情報も、命に関わる危険シグナルとしてインプットしておく必要がある。「沢登りは経験あるから」、「浅瀬なら安全だろう」、「台風一過に防波堤で魚が釣れるぞ」、「上流のダムは放水することはないだろう」、「この程度の酒なら運転している内に覚めるだろう」などと言っていると、いつの日か、とんでもない事件事故に遭遇することになる。

 毎年、あちらこちらの山、川、海、一般公道や公園など、あらゆる所で事件事故が絶えず、死に至る人も多い。毎年、毎年、同じことを繰り返している。先人の辛い経験や恐怖体験からの警鐘を決して軽視するものではない。

 我々は百年生きるかも知れないが、僅か百年足らずの経験で、大自然の猛威を語ることはできない。数千年に及ぶ先人の事件事故情報は、我々にとっては「危機管理のバイブル」として大切に受け継いで行かねばならない。

 畢竟、事件事故に可能な限り縁遠く生きて行くためには、「明日は我が身」という言霊を、胸の内に秘めておくに限る。

 蛇足ながら、以下は筆者なりの考え方であるが、写真撮影時に励行しているものが、「危険回避」に通じるのではないかと言うことだ。

 それは、「撮影前の足元及び周囲安全確認」。大した問題じゃないと思われるかも知れないが、それを無視して滑落事故で命を落とす人も少なくはない。


▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、個人の安全と社会的責任についての重要なテーマに焦点を当てています。筆者は「明日は我が身」という考え方が、個人の安全意識を高め、悲劇を回避するのに役立つと主張しています。以下はエッセイの評価ポイントです。

  1. 問題提起と関心喚起: エッセイは明確な問題提起から始まり、日常生活での悲劇や事故についての関心を喚起します。これは読者の注意を引きつけるのに役立ちます。

  2. 重要なメッセージの伝達: 筆者は「明日は我が身」の考え方の重要性を強調し、個人と社会全体が安全に貢献する必要があると示唆しています。このメッセージは読者に強く訴えかけます。

  3. 具体例の使用: 筆者は季節ごとの悲劇や事故の具体例を挙げ、読者にリアルな危険性を示しています。これはエッセイを具体的かつ興味深く保ちます。

  4. 先人の知識への敬意: 筆者は過去の事件や事故から学び、先人の知識と経験を尊重することの重要性を強調しています。この視点は歴史的な視野を提供し、警鐘としての価値を強調しています。

  5. 安全意識の促進: エッセイの終わりに、写真撮影時の安全確認の重要性に言及することで、読者に安全意識を高める具体的な方法を示唆しています。

総じて、このエッセイは社会的な安全に関する重要な問題を取り上げ、読者に対して自己保護と社会的責任の重要性を強調する力強いメッセージを伝えています。論理的で具体的なアプローチを取り入れており、読者に考えさせる内容となっています。


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